2008年12月04日
多重現実
『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』好調で何よりです。
ゾンビ・ファンとは言わないまでも結構、この手のファンおられるんですね。
ロメロの名前で動員できてるのかもわかりませんが、でも「見に行くぞ!」って感じで来られてるのがすごく伝わります。真打ちの名にふさわしい人気ぶりです。
そして、すごく驚いたのがR-15ホラー・スタンプラリー企画ですが、3本以上観られてる方、4本とも観たという方がかなり多かったんですよ。
すこしダメ元でやった企画(怒られますね、、)だっただけにこんなに反響があるとは思いませんでした。
せっかく観ていただいたので、漏れないように何とかプレゼントしたいのでもうしばらくお待ちください。
ところで『ダイアリー〜』ですが、もう観られましたでしょうか?
スタッフの間でもこそこそと盛り上がってるんですね。
でも、ゾンビと聞けばやはり絶叫とパニックものと連想されがちですが、どうでしょう?
叫んで撃ちまくっているうちに終わった、ていう。
そこは『ダイアリー〜』はひと味もふた味も違うんですよ。

あまりネタバレするとあれなので言えませんが、今回メディアがやたらと出てくる。
ビデオカメラにネットに監視カメラ映像、テレビとそれらを通して多くの情報が飛び交う。
世の中で起こっていることをカメラに記録しておきたい、後世に残したいと息巻く若き映像作家の主人公は何をしたかったのか。「映画」をつくるとさえ口にしていた。
それは本当に彼のいうように「ありのまま」なのか。
人が肉眼でみるものすべてが真実であるとは限らないし、世界のすべてを見通すことはできない。
しかし、それは情報技術を駆使してインターネットを通して眺めてみても、それも叶わない。
彼らのいう「ありのままの現実」がどんどん「情報」と化していく。
それら情報をいくら積み重ねても「真実」らしきものはどこにも立ち現れてこないことを目の当たりにする。
カメラを向けることは認識と表現の矛盾をはらむ。
ありのままに記録したい、それを残してみんなに見せたいという欲求は短絡的であっても、深い思想に基づいたものであっても誰をも傷つけずには満たされるものではない。
そして、そのように残された記録映像から見る者は認識や判断材料にはなってもすべてを飲み込むことはできないし、何もかもから整理することだって困難である。
主人公のような正義感にあふれた「記録」ですら、本当にこの世の中に太刀打ちできるのか。
演出が現実になったとしても、なにも不思議ではないと思える。
だって現実に氾濫する映像はかつて「見たような」ものばかりだし、これだけ映像表現が成熟しようとも、いつまでたっても文字情報には頼らざるをえない。日付だったり、場所だったり、セリフだったり。
「映画」と「情報」の拮抗。
映像のどこに真実があって、人間はなにを見ようとしているのだ?
僕たちの目は、監視カメラのようにならないといけないのか。
なんだか悲しくなる現実がある。
まあ、なにかと考えさせられるのでした。
SHOOT THE DEAD.SHOOT THE REAL.
ueda,
ゾンビ・ファンとは言わないまでも結構、この手のファンおられるんですね。
ロメロの名前で動員できてるのかもわかりませんが、でも「見に行くぞ!」って感じで来られてるのがすごく伝わります。真打ちの名にふさわしい人気ぶりです。
そして、すごく驚いたのがR-15ホラー・スタンプラリー企画ですが、3本以上観られてる方、4本とも観たという方がかなり多かったんですよ。
すこしダメ元でやった企画(怒られますね、、)だっただけにこんなに反響があるとは思いませんでした。
せっかく観ていただいたので、漏れないように何とかプレゼントしたいのでもうしばらくお待ちください。
ところで『ダイアリー〜』ですが、もう観られましたでしょうか?
スタッフの間でもこそこそと盛り上がってるんですね。
でも、ゾンビと聞けばやはり絶叫とパニックものと連想されがちですが、どうでしょう?
叫んで撃ちまくっているうちに終わった、ていう。
そこは『ダイアリー〜』はひと味もふた味も違うんですよ。

あまりネタバレするとあれなので言えませんが、今回メディアがやたらと出てくる。
ビデオカメラにネットに監視カメラ映像、テレビとそれらを通して多くの情報が飛び交う。
世の中で起こっていることをカメラに記録しておきたい、後世に残したいと息巻く若き映像作家の主人公は何をしたかったのか。「映画」をつくるとさえ口にしていた。
それは本当に彼のいうように「ありのまま」なのか。
人が肉眼でみるものすべてが真実であるとは限らないし、世界のすべてを見通すことはできない。
しかし、それは情報技術を駆使してインターネットを通して眺めてみても、それも叶わない。
彼らのいう「ありのままの現実」がどんどん「情報」と化していく。
それら情報をいくら積み重ねても「真実」らしきものはどこにも立ち現れてこないことを目の当たりにする。
カメラを向けることは認識と表現の矛盾をはらむ。
ありのままに記録したい、それを残してみんなに見せたいという欲求は短絡的であっても、深い思想に基づいたものであっても誰をも傷つけずには満たされるものではない。
そして、そのように残された記録映像から見る者は認識や判断材料にはなってもすべてを飲み込むことはできないし、何もかもから整理することだって困難である。
主人公のような正義感にあふれた「記録」ですら、本当にこの世の中に太刀打ちできるのか。
演出が現実になったとしても、なにも不思議ではないと思える。
だって現実に氾濫する映像はかつて「見たような」ものばかりだし、これだけ映像表現が成熟しようとも、いつまでたっても文字情報には頼らざるをえない。日付だったり、場所だったり、セリフだったり。
「映画」と「情報」の拮抗。
映像のどこに真実があって、人間はなにを見ようとしているのだ?
僕たちの目は、監視カメラのようにならないといけないのか。
なんだか悲しくなる現実がある。
まあ、なにかと考えさせられるのでした。
SHOOT THE DEAD.SHOOT THE REAL.
ueda,
2008年11月26日
ゆるやかに放って
はあ、もういうてる間に12月。
今年もあっという間な気がする。12月になったら景気付けにクリスマストゥリーとやらを出そう。
これ毎年言ってる気がする。世間はもう11月から出してるけどね。
早すぎだよ。気が急きすぎだよ。もうどこも商売やってるところはいち早くこれを出しとかないと、乗り遅れると年末のかきいれ時にも失敗するような気がするのだろうか。
年末商業戦の本場、ニューヨークでももう少しゆっくりしてるのではないか。
日本とではクリスマスの意味も違うけど。日本は気分というかムード、ムード。記号である。
きらびやかで賑やかな感じがする。それが人を誘うのだろう。
いま、ロードショウでもたくさん観たい映画があるのに行けない。
先週もヌーヴェルヴァーグの特集で5年待った『美しきセルジュ』をなんとか観たり、ロシア映画特集でこれも8年待った『フルスタリョフ、車を!』にようやく駆け付けた。
なにかとトントンと大阪まで足を運んでるようではあるが、やはり遠い。
一日仕事休みでゆっくりできればよいが、映画の日程というのはすべてがそうとは行かないのでやはり仕事帰りとかに晩の上映をねらって出向くしかない。
あと、『新網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義』『人生劇場 続・飛車角』を観る。
もうどこで観たかはわかる人はわかると思うが、マイペースに毎週淡々と番組は変わるが本当にいつも良い作品がかかっている。
新世界。
あれは宝だと思う。別に汚くても閑散としてても何でもいいからずっと残っていてほしい。
いつも観たい、観たいと思ってたったったと終わっていくのがつらい。
家が近ければな〜。もっと時間もあればな〜。
ま、そんなんただの言い訳か。ちゃんと行けるときに行けばいいんやな。
しかし、飛車角はほんまにおもしろい!
「もう見飽きたわ」いうてるアクビのおっちゃん、あんたもかっこええ。
あのおっちゃんらは観て、観て、見飽きた玄人の鑑賞者やから映画館でも横になって見はるんやわ〜、と勝手に感心したりする。
映写機が切り替わらずに止まってしまって、映画が中断したときも決して慌てず「止まったぞ!」とは受付に言いにいくことはせず、「休憩や」とトイレにいき、用が済んでも「なんかつまみないの」と声を掛けるだけ。その声の強弱、つまり退屈さ加減を声から察知したところから受付でさぼっていた技師もさっと階上に再開しにいく。という具合。
この僕は唐突に「オッチャン、止まったよ」、、、だけ。
芸がない。
ゆとりがない。
早く先が見たい。「あ、健さんが燃える」
たぶんチェンジャーあきっぱなしでフィルムがランプ熱で溶け出して「あぶねー!」と思ったところやっと映写機が動きだした。
「網走ダンプ仁義」中に3回くらいそんなのがあった。普段そんなのあまりないんだけども。
びっくりするかもしれませんが、でも新世界はそれでも穏やかに見れる。不思議なものだ。
それにしても面白かったなー。次は新飛車角じゃ。
ueda,
今年もあっという間な気がする。12月になったら景気付けにクリスマストゥリーとやらを出そう。
これ毎年言ってる気がする。世間はもう11月から出してるけどね。
早すぎだよ。気が急きすぎだよ。もうどこも商売やってるところはいち早くこれを出しとかないと、乗り遅れると年末のかきいれ時にも失敗するような気がするのだろうか。
年末商業戦の本場、ニューヨークでももう少しゆっくりしてるのではないか。
日本とではクリスマスの意味も違うけど。日本は気分というかムード、ムード。記号である。
きらびやかで賑やかな感じがする。それが人を誘うのだろう。
いま、ロードショウでもたくさん観たい映画があるのに行けない。
先週もヌーヴェルヴァーグの特集で5年待った『美しきセルジュ』をなんとか観たり、ロシア映画特集でこれも8年待った『フルスタリョフ、車を!』にようやく駆け付けた。
なにかとトントンと大阪まで足を運んでるようではあるが、やはり遠い。
一日仕事休みでゆっくりできればよいが、映画の日程というのはすべてがそうとは行かないのでやはり仕事帰りとかに晩の上映をねらって出向くしかない。
あと、『新網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義』『人生劇場 続・飛車角』を観る。
もうどこで観たかはわかる人はわかると思うが、マイペースに毎週淡々と番組は変わるが本当にいつも良い作品がかかっている。
新世界。
あれは宝だと思う。別に汚くても閑散としてても何でもいいからずっと残っていてほしい。
いつも観たい、観たいと思ってたったったと終わっていくのがつらい。
家が近ければな〜。もっと時間もあればな〜。
ま、そんなんただの言い訳か。ちゃんと行けるときに行けばいいんやな。
しかし、飛車角はほんまにおもしろい!
「もう見飽きたわ」いうてるアクビのおっちゃん、あんたもかっこええ。
あのおっちゃんらは観て、観て、見飽きた玄人の鑑賞者やから映画館でも横になって見はるんやわ〜、と勝手に感心したりする。
映写機が切り替わらずに止まってしまって、映画が中断したときも決して慌てず「止まったぞ!」とは受付に言いにいくことはせず、「休憩や」とトイレにいき、用が済んでも「なんかつまみないの」と声を掛けるだけ。その声の強弱、つまり退屈さ加減を声から察知したところから受付でさぼっていた技師もさっと階上に再開しにいく。という具合。
この僕は唐突に「オッチャン、止まったよ」、、、だけ。
芸がない。
ゆとりがない。
早く先が見たい。「あ、健さんが燃える」
たぶんチェンジャーあきっぱなしでフィルムがランプ熱で溶け出して「あぶねー!」と思ったところやっと映写機が動きだした。
「網走ダンプ仁義」中に3回くらいそんなのがあった。普段そんなのあまりないんだけども。
びっくりするかもしれませんが、でも新世界はそれでも穏やかに見れる。不思議なものだ。
それにしても面白かったなー。次は新飛車角じゃ。
ueda,
2008年11月20日
見ずして明日は語れるか
『デイ・オブ・ザ・デッド』おかげさまでなかなか好調です!
すでに大阪では難波だけで9月に公開されていたのですが、遅れてでも京都でやってよかった。
せっかく『ダイアリー〜』やるなら、『デイ~』もやるならうちしかないと。
デイは僕も9月に難波まで観に行って、これは喜んでもらえるだろうと確信を持ったので。
なにより、だんだんこの手の映画はシネラリーベだろうという、憶測が飛び交うようになればしめたものです。
ゾンビは女性客がなかなか来ないという定説もありましたが、いやいや何のそのよく来られてるんですねえ。
嬉しいものです。偏見ではないですがホラー好きの女性客を見かけますとテンションも上がります。
「あんなん血だらけの嫌々」という声は昔からよく聞きますから。
『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』はWOWOWの放送あたりでも結構、予告が流れてるようなので公開に合わせてじわじわくればと願っております。ロメロは劇場体験したのが『ダイアリー~』からという若い観客が続々出てこられることを望んでます。
もう願うしかない!!
前売券はおかげさまでかなり売れていてスタッフで喜んでます。50ほどあった特典のゾンビ・グラブもなくなっちゃいました!
いまスタンプラリーを実施していてR15ホラー&サスペンス4作のうち3作以上観ていただいた方は素敵なプレゼントを!という企画を以前にお伝えしましたが、こっそりやっていたのですが(直接劇場へ映画を観に来ていただいた方とこのブログをたまたま閲覧していただいた方のみ知る)、良い反響で立て続けに3作をすでに鑑賞しておられるお客さん続出で嬉しいかぎりです。正直、プレゼントが足りるかビビっているくらいです。
そこへ『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』を配給のPresidio(プレシディオ)さんのご厚意によりプレゼント用アイテムをたくさんご用意いただきました。感謝です。
補充も万端なので、あとは皆さんに残すところの『デイ・オブ・ザ・デッド』と『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』を観ていただくだけです。「今この企画を知った、でももう2本しか見れねえじゃん!」という方にも助け船。
『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』を2回以上ご覧頂いた方もスタンプラリーのプレゼント対象に適用します。この際。アイテムも増えたことですので。
だから、ダイアリーは絶対見て劇場の投函箱に投げ入れてください。何が当たるかはおたのしみに!
なんか、モノで釣ってるみたい(セルDVDの2枚目の特典DVDみたいな)で嫌ですが、それほど何とか観てほしい。


ブログを書けず最近何をしていたのかといえば、もちろん仕事をしていたのですが暇をみつけては大阪まで今村昌平の特集を観に行ったり、新世界で古い東映映画を観に行ったりしてたのです。しかも、たくさん人を呼びつけて。
若い人たちにもぜひああいう劇場で古い映画も観る、という感覚を身につけていてほしいという思いもあって、あえて学生の子らも呼んだりしたのでした。
べつに淡々と一人で行くのは慣れっこなのですがね。
富司純子さんも「やはり映画をDVDで観られるより、なんとか銀幕で見ていただきたいですね」とおっしゃっていたのが心に残ります。映画は劇場で観られることを前提に製作されていますからね。
あまり普段古い日本映画を観ることがない子も(東映ヤクザも観たことないと言っていた)観るとやはり面白いと喜んでくれていたようで何より。すべてはきっかけ。
だから、何かを伝えたりうったえかけたりしたい人は"きっかけ"を作ってあげることは必要。
劇場からだって小さいことから働きかけるしかないし、というよりそれしかない。
でないと、映画館で映画を観られることがますます遠のくでしょう。
「いつでも(どこでも)観られる」という感覚は「いつまでも観ない」ということになりますから。
「いま観ておかないと!」という感覚はビデオやDVDがない頃は皆さんが普通にあった感覚だと思います。
それが積み重なると気がつけば多くの経験がそこに残る。
ところが「また、いつでも」というものはいつまで経っても何も積みあがらないままなのですね。
自分にも言えることですが、人は意識しないといろんなことに流されてしまうもの。
だから、ほんとにそのちょっとの意識の差が昨今の映画を取り巻く状況の厳しさを打開できる要素であると思うのです。
まずは観ないと何も始まらない。
映画はいつだって死にそうになりながら、百年が経った、と言った人がいます。
いつの時代でもいろんな映画はそれでも生まれているのですが「見てなんぼ。見られてなんぼ」ですよね。
こないだ関西でも京都で3日間のみの上映ということで『バカバカンス』というのを観てきました。
監督や俳優も舞台挨拶に来られて盛況だったよう。
僕が行った2日目もなかなかの入りで驚きました。出演の渋川清彦目当てなのもわかるが大したもの。
懸命に前売券をいろんなとこで売りさばいていた友人もほっと一息。
肩の力が抜けた演技でいつもながら爽やかだった渋川清彦だが、映画自体は散々。
風間志織の助監督であったと聞いたが、まあどこを学んでいたのかと疑う。監督自身は自信たっぷりのようであったが。
まず、決して多くはないアイテム(亀のあれやら、天井が開くクルマ、インスタント麺とか)が生きてこない。
亀は車内で揺れてるくらいでは弱い。ブレーキ下に挟まるのもわかりにくい。
僕も学生時代に唖然としたが、思い出があったり意味ありげなアイテムはただぼおっと人物がそれを眺めてるようでは、観客に何も伝わらないし退屈極まりない平凡なカットしか生まれない。
それをどのように人物が扱い、どう流れていくかによってその観る者の印象はかわる。
バンの上に飾って、それのみをカットに収めているようでは何も起こらないし、そこで人物の感傷さを読めといわれても無理がある。男がシチューを日々食いまくっているにも意味がある。それはわかる。脚本の意図も読める。去った彼女が留守電に「シチューがおいてある」と言い残す。そこにかかる。ただそれを毎日毎日だらだら食うのを映像で見せることに何があるのか。
全編ひどいくすんだ画で、だらだら見せるにも、画でしっかり"魅せる"ものには及んでいない。簡単なヴィデオで撮影されたにももう少し工夫があってよかったはずだ。照明はどこを見せたかったのか。あの彼女の涙に気付いてない観客は多いと思う。暗すぎて潰れかけていたからだ。彼はその時、目を開けていたのかいなかったのか。いたのだが、それを確認できたのか、観客は。
あんなに口にしていたオムライスはやはり最後に食べないといけないだろう。見せるべきである。
本当にこれを伝えるのは難しいことなのだが、映画は何より脚本だがやはりそれをしっかり映像で勝負すべきだ。
画でぐっと訴える説得力がないと貧弱になる。本当にこの画でよいのか、感動させるものがあるかを批判的な目で見る力がないと映画作家はどうしようもないだろう。1カット一発の中にどれだけの批判がコモっているかである。
それが昨今の邦画に欠くものであるように思う。インディーであっても勿論だ。
今はヴィデオでいくらでも長回し撮影ができるが、役者の演技や風景を記録するその実りあるはずの「時間」は本当に演出において確かなものなのか。監督自身がそこに厳しさを据えるべきだろう。
でも何より、まずは動員がないと次につながらないので喜ぶべき事態と受け止めたい。
そして、いよいよ今月の27,28日の二日のみではありますが『国道20号線』が京都みなみ会館で上映されるということです。
僕は半年前の大阪公開の時に駆け込んだのですが、これは見逃せない作品になっております。
僕も周りのみんなにはあれは観ておくべき傑作だと触れ回ったのですが、あっさり大阪も終わってしまって残念なところ今回いよいよ京都での上映ということで、これは何が何でもこの機会を逃すわけにはいかないでしょう!
昨年の「映画芸術」誌でも年間ベストにも食い込み、上映の機会がわずかしかない中で高評価を得ていましたね。
最近でも社会学者の宮台真司氏も「なぜ世紀の大傑作であるか」と賞賛。
でも、まだ観てないという方がほとんどですよね。
そのための二日間であります。28日は富田克也監督も舞台挨拶に来られるようですので是非。
忘れられないシーンを目の当たりにします。
これを観ずして年を越せないかも!!
スケジュールをこじ開けてでも観に行ってくださいね。

連日 21:10~
公式HP→http://www.route20movie.com/
ueda,
すでに大阪では難波だけで9月に公開されていたのですが、遅れてでも京都でやってよかった。
せっかく『ダイアリー〜』やるなら、『デイ~』もやるならうちしかないと。
デイは僕も9月に難波まで観に行って、これは喜んでもらえるだろうと確信を持ったので。
なにより、だんだんこの手の映画はシネラリーベだろうという、憶測が飛び交うようになればしめたものです。
ゾンビは女性客がなかなか来ないという定説もありましたが、いやいや何のそのよく来られてるんですねえ。
嬉しいものです。偏見ではないですがホラー好きの女性客を見かけますとテンションも上がります。
「あんなん血だらけの嫌々」という声は昔からよく聞きますから。
『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』はWOWOWの放送あたりでも結構、予告が流れてるようなので公開に合わせてじわじわくればと願っております。ロメロは劇場体験したのが『ダイアリー~』からという若い観客が続々出てこられることを望んでます。
もう願うしかない!!
前売券はおかげさまでかなり売れていてスタッフで喜んでます。50ほどあった特典のゾンビ・グラブもなくなっちゃいました!
いまスタンプラリーを実施していてR15ホラー&サスペンス4作のうち3作以上観ていただいた方は素敵なプレゼントを!という企画を以前にお伝えしましたが、こっそりやっていたのですが(直接劇場へ映画を観に来ていただいた方とこのブログをたまたま閲覧していただいた方のみ知る)、良い反響で立て続けに3作をすでに鑑賞しておられるお客さん続出で嬉しいかぎりです。正直、プレゼントが足りるかビビっているくらいです。
そこへ『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』を配給のPresidio(プレシディオ)さんのご厚意によりプレゼント用アイテムをたくさんご用意いただきました。感謝です。
補充も万端なので、あとは皆さんに残すところの『デイ・オブ・ザ・デッド』と『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』を観ていただくだけです。「今この企画を知った、でももう2本しか見れねえじゃん!」という方にも助け船。
『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』を2回以上ご覧頂いた方もスタンプラリーのプレゼント対象に適用します。この際。アイテムも増えたことですので。
だから、ダイアリーは絶対見て劇場の投函箱に投げ入れてください。何が当たるかはおたのしみに!
なんか、モノで釣ってるみたい(セルDVDの2枚目の特典DVDみたいな)で嫌ですが、それほど何とか観てほしい。


ブログを書けず最近何をしていたのかといえば、もちろん仕事をしていたのですが暇をみつけては大阪まで今村昌平の特集を観に行ったり、新世界で古い東映映画を観に行ったりしてたのです。しかも、たくさん人を呼びつけて。
若い人たちにもぜひああいう劇場で古い映画も観る、という感覚を身につけていてほしいという思いもあって、あえて学生の子らも呼んだりしたのでした。
べつに淡々と一人で行くのは慣れっこなのですがね。
富司純子さんも「やはり映画をDVDで観られるより、なんとか銀幕で見ていただきたいですね」とおっしゃっていたのが心に残ります。映画は劇場で観られることを前提に製作されていますからね。
あまり普段古い日本映画を観ることがない子も(東映ヤクザも観たことないと言っていた)観るとやはり面白いと喜んでくれていたようで何より。すべてはきっかけ。
だから、何かを伝えたりうったえかけたりしたい人は"きっかけ"を作ってあげることは必要。
劇場からだって小さいことから働きかけるしかないし、というよりそれしかない。
でないと、映画館で映画を観られることがますます遠のくでしょう。
「いつでも(どこでも)観られる」という感覚は「いつまでも観ない」ということになりますから。
「いま観ておかないと!」という感覚はビデオやDVDがない頃は皆さんが普通にあった感覚だと思います。
それが積み重なると気がつけば多くの経験がそこに残る。
ところが「また、いつでも」というものはいつまで経っても何も積みあがらないままなのですね。
自分にも言えることですが、人は意識しないといろんなことに流されてしまうもの。
だから、ほんとにそのちょっとの意識の差が昨今の映画を取り巻く状況の厳しさを打開できる要素であると思うのです。
まずは観ないと何も始まらない。
映画はいつだって死にそうになりながら、百年が経った、と言った人がいます。
いつの時代でもいろんな映画はそれでも生まれているのですが「見てなんぼ。見られてなんぼ」ですよね。
こないだ関西でも京都で3日間のみの上映ということで『バカバカンス』というのを観てきました。
監督や俳優も舞台挨拶に来られて盛況だったよう。
僕が行った2日目もなかなかの入りで驚きました。出演の渋川清彦目当てなのもわかるが大したもの。
懸命に前売券をいろんなとこで売りさばいていた友人もほっと一息。
肩の力が抜けた演技でいつもながら爽やかだった渋川清彦だが、映画自体は散々。
風間志織の助監督であったと聞いたが、まあどこを学んでいたのかと疑う。監督自身は自信たっぷりのようであったが。
まず、決して多くはないアイテム(亀のあれやら、天井が開くクルマ、インスタント麺とか)が生きてこない。
亀は車内で揺れてるくらいでは弱い。ブレーキ下に挟まるのもわかりにくい。
僕も学生時代に唖然としたが、思い出があったり意味ありげなアイテムはただぼおっと人物がそれを眺めてるようでは、観客に何も伝わらないし退屈極まりない平凡なカットしか生まれない。
それをどのように人物が扱い、どう流れていくかによってその観る者の印象はかわる。
バンの上に飾って、それのみをカットに収めているようでは何も起こらないし、そこで人物の感傷さを読めといわれても無理がある。男がシチューを日々食いまくっているにも意味がある。それはわかる。脚本の意図も読める。去った彼女が留守電に「シチューがおいてある」と言い残す。そこにかかる。ただそれを毎日毎日だらだら食うのを映像で見せることに何があるのか。
全編ひどいくすんだ画で、だらだら見せるにも、画でしっかり"魅せる"ものには及んでいない。簡単なヴィデオで撮影されたにももう少し工夫があってよかったはずだ。照明はどこを見せたかったのか。あの彼女の涙に気付いてない観客は多いと思う。暗すぎて潰れかけていたからだ。彼はその時、目を開けていたのかいなかったのか。いたのだが、それを確認できたのか、観客は。
あんなに口にしていたオムライスはやはり最後に食べないといけないだろう。見せるべきである。
本当にこれを伝えるのは難しいことなのだが、映画は何より脚本だがやはりそれをしっかり映像で勝負すべきだ。
画でぐっと訴える説得力がないと貧弱になる。本当にこの画でよいのか、感動させるものがあるかを批判的な目で見る力がないと映画作家はどうしようもないだろう。1カット一発の中にどれだけの批判がコモっているかである。
それが昨今の邦画に欠くものであるように思う。インディーであっても勿論だ。
今はヴィデオでいくらでも長回し撮影ができるが、役者の演技や風景を記録するその実りあるはずの「時間」は本当に演出において確かなものなのか。監督自身がそこに厳しさを据えるべきだろう。
でも何より、まずは動員がないと次につながらないので喜ぶべき事態と受け止めたい。
そして、いよいよ今月の27,28日の二日のみではありますが『国道20号線』が京都みなみ会館で上映されるということです。
僕は半年前の大阪公開の時に駆け込んだのですが、これは見逃せない作品になっております。
僕も周りのみんなにはあれは観ておくべき傑作だと触れ回ったのですが、あっさり大阪も終わってしまって残念なところ今回いよいよ京都での上映ということで、これは何が何でもこの機会を逃すわけにはいかないでしょう!
昨年の「映画芸術」誌でも年間ベストにも食い込み、上映の機会がわずかしかない中で高評価を得ていましたね。
最近でも社会学者の宮台真司氏も「なぜ世紀の大傑作であるか」と賞賛。
でも、まだ観てないという方がほとんどですよね。
そのための二日間であります。28日は富田克也監督も舞台挨拶に来られるようですので是非。
忘れられないシーンを目の当たりにします。
これを観ずして年を越せないかも!!
スケジュールをこじ開けてでも観に行ってくださいね。

連日 21:10~
公式HP→http://www.route20movie.com/
ueda,
2008年10月20日
人が集まっては、また去っていく
『悪名一番勝負』!!
ああ、よかった。涙が滲む。何回も見ていたい。
「痛、痛いやないか..」勝新のあの台詞は染みるなあ。
懐から女のためにいつかの暖簾を出すとことか渋い。
かわいらしさと強さと渋さと粋さ、ほんで優しさ。勝新!
マキノ雅弘の映画は小道具が見逃せない。小道具をうまく使う。
血の付いたくちゃくちゃの札。
まっさらなカネは汚い。
血の滲んだカネに男と女の交錯する思いと情念を込める。
交換可能であるが、それは娑婆の流通価値を超えるもの。
不穏の空気がたちこめると、それを予期するかのように頭の上を凄まじい轟音とともに機関車が過ぎてゆく。やはり事態は向かうべきところに向かう。
この1本は「悪名」シリーズでもとりわけ傑作だという声をよく聞くが、それは見ればすごくよくわかる。
またどこかでかかる機会があれば、見逃した人はぜひとも見てもらいたいですね。
最近『グーグーだって猫である』という映画を見ました。
わりとたくさん人が入ってたようなので時期を遅らせてようやく見たのですが、「吾輩は猫である」のような観点ではもちろんないわけで小泉今日子が主演なのだが猫目線というのはやっぱりない。いや、ないこともないのだが..。
猫が猫に働きかけ、猫同士の戯れが始まったときにはコンピュータ・ゲームのような面白い音が鳴る。
そのとき、はじめて猫は人間の取り巻く世界、というか世間からホイと抜け出る。
猫を探し出す彼らは、あくまで猫ではないが猫のように気まぐれな動作に明け暮れる。
やたらと「吉祥寺」がフィーチャーされていたが、原作からなのかとても緩く穏やかな空間を演出している。ほのぼのとした気分で見れた。
猫と人間の間の距離感がとても心地よく、寂しさも伺わせるがどこか人の温度が伝わる程度でしか離れることはなく、いつも誰かのことを気に掛けているようなそんな日向ぼっこのような暖かさの中に、それらを見届けるような目線でもって猫がいる。
現在の猫と、それとは別に感じる猫の影。
「サヴァ!」小泉今日子はそんなふうに呼びかけていた。とてもきれいな声で。
小泉今日子がそれに気付いたとき、彼女のなかでそれはどんどん大きくなっていく。
そして、またいつか出会うだろう。話すだろう。
そんな気配が冒頭から感じずにはいられないのでした。
今回、デジタル撮影の画がかなり粗くて「あら?」と戸惑いました。
犬童一心監督の映画はある種の清潔さを感じさせるほどきれいな画であったため今回のラフな画作りには正直がっかりしたものの、たぶん簡単なステディカムのようなもので撮影されたと思うのだが、その機動性を逆に活かしたシーンも随所に見られ、それはそれで風通しのよいものだなあと思える演出であったのでした。猫をカメラが追いかけたり、屋外でおそらくゲリラであろう撮影を敢行していたり、人間が走りまわるシーンを編集で遊んでみたりいつも通りの映画の作り方とは違う試みもみられる。
なぜか楳図かずおが関係ないとこでよく出てきておかしかった!
『トウキョウソナタ』でもそうだが、小泉今日子が女優として本当によくなったと思う。
映画の方でこれからも活躍されるのがたのしみである。
ueda,
ああ、よかった。涙が滲む。何回も見ていたい。
「痛、痛いやないか..」勝新のあの台詞は染みるなあ。
懐から女のためにいつかの暖簾を出すとことか渋い。
かわいらしさと強さと渋さと粋さ、ほんで優しさ。勝新!
マキノ雅弘の映画は小道具が見逃せない。小道具をうまく使う。
血の付いたくちゃくちゃの札。
まっさらなカネは汚い。
血の滲んだカネに男と女の交錯する思いと情念を込める。
交換可能であるが、それは娑婆の流通価値を超えるもの。
不穏の空気がたちこめると、それを予期するかのように頭の上を凄まじい轟音とともに機関車が過ぎてゆく。やはり事態は向かうべきところに向かう。
この1本は「悪名」シリーズでもとりわけ傑作だという声をよく聞くが、それは見ればすごくよくわかる。
またどこかでかかる機会があれば、見逃した人はぜひとも見てもらいたいですね。
最近『グーグーだって猫である』という映画を見ました。
わりとたくさん人が入ってたようなので時期を遅らせてようやく見たのですが、「吾輩は猫である」のような観点ではもちろんないわけで小泉今日子が主演なのだが猫目線というのはやっぱりない。いや、ないこともないのだが..。
猫が猫に働きかけ、猫同士の戯れが始まったときにはコンピュータ・ゲームのような面白い音が鳴る。
そのとき、はじめて猫は人間の取り巻く世界、というか世間からホイと抜け出る。
猫を探し出す彼らは、あくまで猫ではないが猫のように気まぐれな動作に明け暮れる。
やたらと「吉祥寺」がフィーチャーされていたが、原作からなのかとても緩く穏やかな空間を演出している。ほのぼのとした気分で見れた。
猫と人間の間の距離感がとても心地よく、寂しさも伺わせるがどこか人の温度が伝わる程度でしか離れることはなく、いつも誰かのことを気に掛けているようなそんな日向ぼっこのような暖かさの中に、それらを見届けるような目線でもって猫がいる。
現在の猫と、それとは別に感じる猫の影。
「サヴァ!」小泉今日子はそんなふうに呼びかけていた。とてもきれいな声で。
小泉今日子がそれに気付いたとき、彼女のなかでそれはどんどん大きくなっていく。
そして、またいつか出会うだろう。話すだろう。
そんな気配が冒頭から感じずにはいられないのでした。
今回、デジタル撮影の画がかなり粗くて「あら?」と戸惑いました。
犬童一心監督の映画はある種の清潔さを感じさせるほどきれいな画であったため今回のラフな画作りには正直がっかりしたものの、たぶん簡単なステディカムのようなもので撮影されたと思うのだが、その機動性を逆に活かしたシーンも随所に見られ、それはそれで風通しのよいものだなあと思える演出であったのでした。猫をカメラが追いかけたり、屋外でおそらくゲリラであろう撮影を敢行していたり、人間が走りまわるシーンを編集で遊んでみたりいつも通りの映画の作り方とは違う試みもみられる。
なぜか楳図かずおが関係ないとこでよく出てきておかしかった!
『トウキョウソナタ』でもそうだが、小泉今日子が女優として本当によくなったと思う。
映画の方でこれからも活躍されるのがたのしみである。
ueda,
2008年10月14日
斬っても斬っても斬られても
涼しくなりましたね。秋でございます。
一日一回朝のみの上映で『落下の王国』させていただいてますが、おかげさまで大入りです。
そして、好評です。ターセム久しぶりの新作ですが、はっきり言って劇場の僕がどうしてこれほどヒットしているのか把握しきれておりません。
どれほど良い映画でも動員に結びつくかはこれまた別の問題。
雑誌等メディアでの露出もないことはないのですが、予告編をかけていたときからお客様の反応がとてもよかったのですね。
こちらも今週いっぱいの17日(金)までの上映となりますのでぜひともご覧ください。

『落下の王国』連日 朝10:00より
名作『カッコーの巣の上で』『アマデウス』のミロス・フォアマン監督の7年ぶりの新作『宮廷画家ゴヤは見た』が公開中です。
『ノーカントリー』で一気に名をあげ、現在『コレラの時代の愛』も公開中のハビエル・バルデムが主演!

京都映画祭がとうとう終わってしまいましたね。
寂しいものです...マキノ映画。
仕事終わりや休日に駆け込んだりしていたですが、まだまだあれもこれも観たい作品が目白押しでした。
東京ではフィルムセンターで大々的にマキノ生誕100年で回顧上映を催されたので、それこそ京都はないのだろうかと夏頃に心配していただけにこのような形で特集されてよかったのです。
いや〜日曜日に来られていた富司純子さんはとてもきれいでした。
もうミーハーで結構。
「マキノ先生は父親より父親のような方でございました」というくだりには感動しました。
現代ではなかなか師弟の絆を築くこともままならないので羨ましくもありましたね。
『侠骨一代』『昭和残侠伝 死んで貰います』の当時の姿も麗しく、まだ『緋牡丹博徒』と比べたら役柄からもかなり目線が優しく、ほだされてしまいました。
また今度はいつどこで見られることやら。
今月18日の新京極映画祭でも一本マキノ映画『悪名一番勝負』が観れるのでこの機会をお見逃しなく!
若い人たちもこれを観て一本やられてほしい。
ueda,
一日一回朝のみの上映で『落下の王国』させていただいてますが、おかげさまで大入りです。
そして、好評です。ターセム久しぶりの新作ですが、はっきり言って劇場の僕がどうしてこれほどヒットしているのか把握しきれておりません。
どれほど良い映画でも動員に結びつくかはこれまた別の問題。
雑誌等メディアでの露出もないことはないのですが、予告編をかけていたときからお客様の反応がとてもよかったのですね。
こちらも今週いっぱいの17日(金)までの上映となりますのでぜひともご覧ください。

『落下の王国』連日 朝10:00より
名作『カッコーの巣の上で』『アマデウス』のミロス・フォアマン監督の7年ぶりの新作『宮廷画家ゴヤは見た』が公開中です。
『ノーカントリー』で一気に名をあげ、現在『コレラの時代の愛』も公開中のハビエル・バルデムが主演!

京都映画祭がとうとう終わってしまいましたね。
寂しいものです...マキノ映画。
仕事終わりや休日に駆け込んだりしていたですが、まだまだあれもこれも観たい作品が目白押しでした。
東京ではフィルムセンターで大々的にマキノ生誕100年で回顧上映を催されたので、それこそ京都はないのだろうかと夏頃に心配していただけにこのような形で特集されてよかったのです。
いや〜日曜日に来られていた富司純子さんはとてもきれいでした。
もうミーハーで結構。
「マキノ先生は父親より父親のような方でございました」というくだりには感動しました。
現代ではなかなか師弟の絆を築くこともままならないので羨ましくもありましたね。
『侠骨一代』『昭和残侠伝 死んで貰います』の当時の姿も麗しく、まだ『緋牡丹博徒』と比べたら役柄からもかなり目線が優しく、ほだされてしまいました。
また今度はいつどこで見られることやら。
今月18日の新京極映画祭でも一本マキノ映画『悪名一番勝負』が観れるのでこの機会をお見逃しなく!
若い人たちもこれを観て一本やられてほしい。
ueda,
2008年10月02日
ちょっと演じてみる
「プレインビュー!!!!!!」
唐突ですいません。こんにちは、uedaです。
いや、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の予告編をまた最近劇場で見たものでついつい叫んでみました。
ほんとあれはどうしようもなく心打たれてしまいますね。
予告でまたも思い出してしまいました。ドドドドドド..............。
「H.W.」
何度でも見てやりましょう。
あれダニエル・デイ・ルイスはもちろんですが、何がすごいって2役していたあの若い俳優だれでしたっけ?
「リトル・ミスサンシャイン」にも出ていた...
ポール・ダノ!
やはり彼でしょう。どうしたものでしょうかね、あの存在感。
教会での狂いっぷり。あの人間的なやわらかさと胡散臭さ。
どのように演出したのか気になります。
ああいう都会離れした顔の俳優はいいですね。キルスティン・ダンストと姉弟みたいにみえる。
あと個人的な欲望としてポール・トーマス・アンダーソンの映画に役所広司を出演させたい。
合わなさそうですけど、合いますよ、きっと。
「バベル」や「シルク」であんなもったいぶった使われかたするならPTAの手によって真顔でうろうろさせたい。
『パコと魔法の絵本』でも役所広司は主演ですが、いいですね。
舞台的な演技に徹してますが、それが一見過剰ともとれるもののそれが映画に機能しているのが不思議でならない。あのハリボテのような手作り感あふれる舞台装置がより一層それを可能にしているのかもしれません。僕は役所広司を舞台の芝居で見ているのですが、彼が出演している昨今の映画では珍しい演技だと思います。もちろん、彼がああいった演技ができることじたいは特別な驚きはありませんでしたが。
ともあれ、僕はなにが一体よかったのかわからないままこの映画を見ていてずっと泣いていました。
あんま起伏とかないままに。
自分とこの映画を手放しで褒めるのもどうかと思いますが..。油断しました。
映画を見て泣くことはそんなにありません。
おもわずもってかれそうになってもぐっと冷静にたってこらえますから。
映画で役者が涙を見せていても僕は結構何とも思いません。むしろ、醒める方が多い。
でもね、この映画はへんな映画です。
中島監督が本当にやりたかったことがわかりました。
「知らない!」
もうこのひとことではないでしょうか。
物語を大きな声を出して読んで聞かせましょう。そして、やってみましょう。
唐突ですいません。こんにちは、uedaです。
いや、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の予告編をまた最近劇場で見たものでついつい叫んでみました。
ほんとあれはどうしようもなく心打たれてしまいますね。
予告でまたも思い出してしまいました。ドドドドドド..............。
「H.W.」
何度でも見てやりましょう。
あれダニエル・デイ・ルイスはもちろんですが、何がすごいって2役していたあの若い俳優だれでしたっけ?
「リトル・ミスサンシャイン」にも出ていた...
ポール・ダノ!
やはり彼でしょう。どうしたものでしょうかね、あの存在感。
教会での狂いっぷり。あの人間的なやわらかさと胡散臭さ。
どのように演出したのか気になります。
ああいう都会離れした顔の俳優はいいですね。キルスティン・ダンストと姉弟みたいにみえる。
あと個人的な欲望としてポール・トーマス・アンダーソンの映画に役所広司を出演させたい。
合わなさそうですけど、合いますよ、きっと。
「バベル」や「シルク」であんなもったいぶった使われかたするならPTAの手によって真顔でうろうろさせたい。
『パコと魔法の絵本』でも役所広司は主演ですが、いいですね。
舞台的な演技に徹してますが、それが一見過剰ともとれるもののそれが映画に機能しているのが不思議でならない。あのハリボテのような手作り感あふれる舞台装置がより一層それを可能にしているのかもしれません。僕は役所広司を舞台の芝居で見ているのですが、彼が出演している昨今の映画では珍しい演技だと思います。もちろん、彼がああいった演技ができることじたいは特別な驚きはありませんでしたが。
ともあれ、僕はなにが一体よかったのかわからないままこの映画を見ていてずっと泣いていました。
あんま起伏とかないままに。
自分とこの映画を手放しで褒めるのもどうかと思いますが..。油断しました。
映画を見て泣くことはそんなにありません。
おもわずもってかれそうになってもぐっと冷静にたってこらえますから。
映画で役者が涙を見せていても僕は結構何とも思いません。むしろ、醒める方が多い。
でもね、この映画はへんな映画です。
中島監督が本当にやりたかったことがわかりました。
「知らない!」
もうこのひとことではないでしょうか。
物語を大きな声を出して読んで聞かせましょう。そして、やってみましょう。
2008年09月30日
あたし長女
今日で9月
おわり
まじ
早いんですけど
てか
カップラーメン
3分
待つ方が
長くねぇ
みたいな
てか
毎日
こんなんで
ババァになるとか
ありえなくね
終ーーーーー了!!!
「あたし彼女」風に書いてみました。
スタッフのモム造が教えてくれました。
「ケータイ小説大賞とった『あたし彼女』って知ってます?」
知らん知らん。
ってことでみんなでみてみると、こんな感じでした。
スタッフ一同わーわーいうてみました。
ケータイ小説ってこんなんなんやなぁてちょっぴりカルチャーショックです。
全429ページっていうので、くらくらっとなりました。
あんなかんじで429ペチ だぁよ
ちょっと読んでみたけど、すぐ読めて「ペチ」ってクリックするのがしんどい。
ケータイだと読みやすいんだろか?ペチチチチチ父チチチ…。
恋空もそうだったけども
ケータイ小説必須項目
・SEX、妊娠、中絶(流産)
とかいうしばりがあるんでしょうか?
それないと読者が読む気おきないんだろうか?
若い子が読むんだろうなぁっては思うけども、若い時の関心事ってそれだけじゃないだろ??
と思いながらも、若さってエロスみたいなとこあるなぁと思ったり。
とにかく
なんでもかんでも
映画化
とか
マジ
なんとかせー!!!!!
おわり
まじ
早いんですけど
てか
カップラーメン
3分
待つ方が
長くねぇ
みたいな
てか
毎日
こんなんで
ババァになるとか
ありえなくね
終ーーーーー了!!!
「あたし彼女」風に書いてみました。
スタッフのモム造が教えてくれました。
「ケータイ小説大賞とった『あたし彼女』って知ってます?」
知らん知らん。
ってことでみんなでみてみると、こんな感じでした。
スタッフ一同わーわーいうてみました。
ケータイ小説ってこんなんなんやなぁてちょっぴりカルチャーショックです。
全429ページっていうので、くらくらっとなりました。
あんなかんじで429ペチ だぁよ

ちょっと読んでみたけど、すぐ読めて「ペチ」ってクリックするのがしんどい。
ケータイだと読みやすいんだろか?ペチチチチチ父チチチ…。
恋空もそうだったけども
ケータイ小説必須項目
・SEX、妊娠、中絶(流産)
とかいうしばりがあるんでしょうか?
それないと読者が読む気おきないんだろうか?
若い子が読むんだろうなぁっては思うけども、若い時の関心事ってそれだけじゃないだろ??
と思いながらも、若さってエロスみたいなとこあるなぁと思ったり。
とにかく
なんでもかんでも
映画化
とか
マジ
なんとかせー!!!!!
2008年09月22日
それはゴミ溜めか?!
あんなに大騒ぎであった台風はどこへやら。
今朝電車でおばあちゃんの団体さんが「天気予報ほんまあたらへん!」と一斉にぼやいてらした。
まあ、たしかにこの頃当たりませんね。
こんにちは、uedaです。
<直撃!>といわれていた日のその時間帯に僕は[京都←→大阪]間を行ったり来たりしていて「大丈夫か、」と少し不安でしたが、ちゃっかり仲間らと飲んでたのでした。
西梅田で旨いんだか、まずいんだかよくわからない格安のホルモン屋。味付けはすべて塩コショウ。
「どか盛り」というのが4人前くらいの量で千円。
その「どか盛り」をひとつたのんですぐ平らげたので、ちょっと高めなセットを3人前頼もうとしたら麿赤児みたいな頭のおやっさんが「そらあ、ドカいった方がええ!」という。
僕は、それが「そらあ、どっか行った方がええ」と聞こえた。
「おっちゃん何言うてんのや!」という気分になった。
すると、友人がすぐ「じゃあ、またどか盛りにします」と言ったので「ああ、そういうことね」と頷く。
ややこしいけど、そんなやりとりがありました。
それにしても、あのノリのようわからんおやっさん、商売する気あるのか。
「そるぁあ、どかイッた方がよろしいわ!!!」すごい響きである。
しかし、店内は普通に居酒屋レストランのようにキレイなものであった。
映画『TOKYO!』で<メルド>を撮ったレオス・カラックスの話題が上り、「おもろすぎるだろう」と。
そういう話になった。
僕は歩くドゥニ・ラヴァンを見ているだけで涙が滲んできました。
カラックスは本当にいろんな評価が出ますが、個人的にかなり感慨深いものがありました。
これからももっとああいう感じでフットワーク軽く撮っていってほしいですね。
あれを本気でばかばかしいと憤る人の気持ちもわからなくはないですが、僕は全然よいと思いますよ。
天才だとかいろいろ言われて20歳やそこらでデビューした人だから、そりゃあ風当たりも強い。
そんなカラックスももう50前である。長編たった4本は寡作すぎる。
まあ今作、東京であれをやるとメタ的に消費される恐さもあってリスクすれすれの狙い所かもしれない。
でも、いまこの時代で東京を舞台に短編を撮れ、と言われてあれを発想する人はまずいないだろう。
彼の厭世観が色濃く出てるのも笑えますが。
あれを見てくれぐれも「東京はあんなんじゃない!侮辱だ」などと野暮な事は言わんでくだせ。
せいぜいあれは映画なのですから。
われわれがイメージする東京は、あくまで自国日本に住んでいるという特権性に守られた勝手なイメージにすぎないし、よく考えればそのほとんどのイメージの断片はテレビやメディアからの集積で、
これがリアルな東京だ、とは誰も言えないはずである。
仮に東京に住んでいるからといって、映画としてのリアルな東京は必ずしも描けないだろうし。
その想像力はそれぞれの人の中にあるのだから。
だから、外国人が見るへんてこな東京も地方や郊外に生きる人間が見る東京もそこに差異を求めることに、たいした意味はない。いくらツッコミを入れてみたところで、それぞれに好きなように加工された「東京」というイメージがあるにすぎないのだから。
そして、この映画で3人の監督による「東京」という不安定なイメージを覗き見たい。
今朝電車でおばあちゃんの団体さんが「天気予報ほんまあたらへん!」と一斉にぼやいてらした。
まあ、たしかにこの頃当たりませんね。
こんにちは、uedaです。
<直撃!>といわれていた日のその時間帯に僕は[京都←→大阪]間を行ったり来たりしていて「大丈夫か、」と少し不安でしたが、ちゃっかり仲間らと飲んでたのでした。
西梅田で旨いんだか、まずいんだかよくわからない格安のホルモン屋。味付けはすべて塩コショウ。
「どか盛り」というのが4人前くらいの量で千円。
その「どか盛り」をひとつたのんですぐ平らげたので、ちょっと高めなセットを3人前頼もうとしたら麿赤児みたいな頭のおやっさんが「そらあ、ドカいった方がええ!」という。
僕は、それが「そらあ、どっか行った方がええ」と聞こえた。
「おっちゃん何言うてんのや!」という気分になった。
すると、友人がすぐ「じゃあ、またどか盛りにします」と言ったので「ああ、そういうことね」と頷く。
ややこしいけど、そんなやりとりがありました。
それにしても、あのノリのようわからんおやっさん、商売する気あるのか。
「そるぁあ、どかイッた方がよろしいわ!!!」すごい響きである。
しかし、店内は普通に居酒屋レストランのようにキレイなものであった。
映画『TOKYO!』で<メルド>を撮ったレオス・カラックスの話題が上り、「おもろすぎるだろう」と。
そういう話になった。
僕は歩くドゥニ・ラヴァンを見ているだけで涙が滲んできました。
カラックスは本当にいろんな評価が出ますが、個人的にかなり感慨深いものがありました。
これからももっとああいう感じでフットワーク軽く撮っていってほしいですね。
あれを本気でばかばかしいと憤る人の気持ちもわからなくはないですが、僕は全然よいと思いますよ。
天才だとかいろいろ言われて20歳やそこらでデビューした人だから、そりゃあ風当たりも強い。
そんなカラックスももう50前である。長編たった4本は寡作すぎる。
まあ今作、東京であれをやるとメタ的に消費される恐さもあってリスクすれすれの狙い所かもしれない。
でも、いまこの時代で東京を舞台に短編を撮れ、と言われてあれを発想する人はまずいないだろう。
彼の厭世観が色濃く出てるのも笑えますが。
あれを見てくれぐれも「東京はあんなんじゃない!侮辱だ」などと野暮な事は言わんでくだせ。
せいぜいあれは映画なのですから。
われわれがイメージする東京は、あくまで自国日本に住んでいるという特権性に守られた勝手なイメージにすぎないし、よく考えればそのほとんどのイメージの断片はテレビやメディアからの集積で、
これがリアルな東京だ、とは誰も言えないはずである。
仮に東京に住んでいるからといって、映画としてのリアルな東京は必ずしも描けないだろうし。
その想像力はそれぞれの人の中にあるのだから。
だから、外国人が見るへんてこな東京も地方や郊外に生きる人間が見る東京もそこに差異を求めることに、たいした意味はない。いくらツッコミを入れてみたところで、それぞれに好きなように加工された「東京」というイメージがあるにすぎないのだから。
そして、この映画で3人の監督による「東京」という不安定なイメージを覗き見たい。
2008年09月18日
声がききたい
アヤカ・ウィルソンの声がとてもかわいい!
昭和のテレビアニメの女の子を思わせるような良い声をしている。
皆さん、『パコと魔法の絵本』はもう見られましたでしょうか?
こんにちは、uedaです。
声優や声質に特別詳しいわけではないのですが、でも役者の「声」はすごく大事だな、と思います。
何てことない台詞でも声が良いとスッとこちらの耳に残りますから。
例えば、いまの若手の女優でいうと蒼井優や宮崎あおい、上野樹里なんかだとあまり良い声だとは思えないんですよ。「音」なので感じ方は人それぞれあるとは思うのですが、僕にとってはそんなによくは聞こえない。
発声もよくないのかもしれない。口の中でモゴモゴ言っている感じで内省的な印象です。
でもそこは彼女たちもプロなのでその「モゴモゴいってる感じ」をきちんと表現しているのかもしれないし、そういった発声をする演技の方が現代的にはリアルで説得力を持つのかもしれませんが。
男性だと浅野忠信や加瀬亮あたりは完全にその類ですね。
長澤まさみはむちゃむちゃと甘ったるい話し方をするし、水川あさみや柴咲コウなんかは逆にぶっきらぼうなほど抑揚のない声を出す。そういう意味では柴咲が登場した時はびっくりしました。
こんなに「素」っぽくてよいのかと。こんなに現代的でよいのか。
水川あさみは個人的にかなり苦手な声の持ち主でして(失礼ですね、)声帯にヤスリをかけたくなります。
と、いろいろ事情はありますが今回発見したアヤカ・ウィルソンのように人の耳を通り越して脳にまですかっと響かせる声は最近では珍しく良いものだなと。
いや、ノイジーなものを否定してる訳ではありませんよ。
ノイジーなのもそれはそれで必要な要素です。
要はいかにして「声」を届けるか、残すか、表現しうるかですよね。
もともと持っている「声質」はそんなには変えられない。でもその特質をどう表現するかは考えられると思います。浅野忠信、香川照之あたりは絶対にそのことを意識して演じているはずです。
発声そのものは訓練すれば上達する。でもその声の通りのよさ、しっかりとした発声、ビルドアップした声が必ずしも現代劇を支えるものかというと甚だ疑問ではあります。
もちろん、映画とは違って舞台の上に立って演じるとなると、原則的に肉声を観客に届けないといけませんから当然それなりの声量は必要ですし、役者がその場で何を話しているのかがわからなければ観客はストレスを感じますよね。
映画は記録ですからフレームの中で画とともに「聞こえにくい声」「内向的な声」「曖昧な声」「小さい声」というのも表すことがある。
極端な話が例えば、引きこもりの青年が滑舌よく肺活量フルに発声していたらそれはやはりおかしいですよね。普段人となかなか話さないのだからモゴモゴしてしまうかもしれない。口の中でかろうじて何かを転がすようにしかできないかもしれない。
そういったことを「身体」とは別に「声」で表現するということがある。
すかっと耳に残る声が好きだ、と冒頭で言っておきながら「聞こえにくいこと/声が届かないこと」を表現するという抽象的な話になってしましましたが、難しいものですね。
昔の映画だとたいていはどんな役者さんもしっかりと発声されています。
あまりボソボソいう人はいない。
今は「どこに向かってはなしているの?」という話し方をみせる役者はよく見かける。
今だとかえって抑揚を効かせた大きな声での演技だとへんに芝居がかって違和感を覚えます。
そういう意味では「声」を含む「現代的な身体性」ということを考えると変化してきているともとれますが、どこか痩せ細っていく印象も拭えません。
現代性を表現し、体現してゆくのが役者の役割のひとつと捉えるなら彼らの「声や身体」からその時代のリアリティが見える可能性もあるわけですね。
昭和のテレビアニメの女の子を思わせるような良い声をしている。
皆さん、『パコと魔法の絵本』はもう見られましたでしょうか?
こんにちは、uedaです。
声優や声質に特別詳しいわけではないのですが、でも役者の「声」はすごく大事だな、と思います。
何てことない台詞でも声が良いとスッとこちらの耳に残りますから。
例えば、いまの若手の女優でいうと蒼井優や宮崎あおい、上野樹里なんかだとあまり良い声だとは思えないんですよ。「音」なので感じ方は人それぞれあるとは思うのですが、僕にとってはそんなによくは聞こえない。
発声もよくないのかもしれない。口の中でモゴモゴ言っている感じで内省的な印象です。
でもそこは彼女たちもプロなのでその「モゴモゴいってる感じ」をきちんと表現しているのかもしれないし、そういった発声をする演技の方が現代的にはリアルで説得力を持つのかもしれませんが。
男性だと浅野忠信や加瀬亮あたりは完全にその類ですね。
長澤まさみはむちゃむちゃと甘ったるい話し方をするし、水川あさみや柴咲コウなんかは逆にぶっきらぼうなほど抑揚のない声を出す。そういう意味では柴咲が登場した時はびっくりしました。
こんなに「素」っぽくてよいのかと。こんなに現代的でよいのか。
水川あさみは個人的にかなり苦手な声の持ち主でして(失礼ですね、)声帯にヤスリをかけたくなります。
と、いろいろ事情はありますが今回発見したアヤカ・ウィルソンのように人の耳を通り越して脳にまですかっと響かせる声は最近では珍しく良いものだなと。
いや、ノイジーなものを否定してる訳ではありませんよ。
ノイジーなのもそれはそれで必要な要素です。
要はいかにして「声」を届けるか、残すか、表現しうるかですよね。
もともと持っている「声質」はそんなには変えられない。でもその特質をどう表現するかは考えられると思います。浅野忠信、香川照之あたりは絶対にそのことを意識して演じているはずです。
発声そのものは訓練すれば上達する。でもその声の通りのよさ、しっかりとした発声、ビルドアップした声が必ずしも現代劇を支えるものかというと甚だ疑問ではあります。
もちろん、映画とは違って舞台の上に立って演じるとなると、原則的に肉声を観客に届けないといけませんから当然それなりの声量は必要ですし、役者がその場で何を話しているのかがわからなければ観客はストレスを感じますよね。
映画は記録ですからフレームの中で画とともに「聞こえにくい声」「内向的な声」「曖昧な声」「小さい声」というのも表すことがある。
極端な話が例えば、引きこもりの青年が滑舌よく肺活量フルに発声していたらそれはやはりおかしいですよね。普段人となかなか話さないのだからモゴモゴしてしまうかもしれない。口の中でかろうじて何かを転がすようにしかできないかもしれない。
そういったことを「身体」とは別に「声」で表現するということがある。
すかっと耳に残る声が好きだ、と冒頭で言っておきながら「聞こえにくいこと/声が届かないこと」を表現するという抽象的な話になってしましましたが、難しいものですね。
昔の映画だとたいていはどんな役者さんもしっかりと発声されています。
あまりボソボソいう人はいない。
今は「どこに向かってはなしているの?」という話し方をみせる役者はよく見かける。
今だとかえって抑揚を効かせた大きな声での演技だとへんに芝居がかって違和感を覚えます。
そういう意味では「声」を含む「現代的な身体性」ということを考えると変化してきているともとれますが、どこか痩せ細っていく印象も拭えません。
現代性を表現し、体現してゆくのが役者の役割のひとつと捉えるなら彼らの「声や身体」からその時代のリアリティが見える可能性もあるわけですね。
2008年08月15日
祭典
体質が変わりました。
こんなによく汗をかく自分ではなかったのに。代謝がよくなったと理解しておきます。
こんにちは、uedaです。
いま、興奮気味の自分を10倍抑えて冷静を装っています。
でも、抑えきれないなあ..。
今年はどんな年? 北京五輪の年?いまテレビに釘付けです(でもないか..)
開会式は張芸謀(チャン・イーモウ)監督の演出でしたね。
もう他のヴァラエティ番組とか見れなくなってしまうほどに熱が入ります。
もう政治的なゴタゴタを吹き飛ばすほど、選手には頑張っていただきたい。
本当に彼らの真剣な眼差しは、こちらの背筋を正すほどポジティヴなエネルギーに溢れていますね。
そして、もう一つ大事なこと。
ゾンビのジョージ・A・ロメロの新作『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』の公開が控えている。
五輪のあとにこんなこと言うとふざけてるのかと怒られそうですが、ゾンビファン待望の新作です。
彼らはこの2008年という記念すべき年に走りません。
人の10倍ゆっくり歩行します。
スポーツの祭典とは似つかわしくない究極の「負」の躍動感!「腐」の躍動感!
そうですよ。ゾンビは走るのが当たり前なんて普通に思っている若者には改めて原点に帰ってもらわねば!
本家本元、ロメロの新作に泣いて叫べ!なんてね。
そんな新作『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』の京都公開が当館に決まりました。
ええ。個人的にも待ってましたよ。1年ほど待ってました。
ロメロ監督が今回は本気でインディペンデントで制作に乗ったようなのでメジャーではないと聞いていたので期待も高鳴りましたよ。ロメロ本気なんですよ、証拠がこれ↓
http://www.myspace.com/diaryofthedead
「ランド・オブ~」はメジャーだったのでまあ、いろいろ要請が強すぎて好きなようにはいかなかったのかな。
とりあえず新作は11月に公開です。首を長くして待ちましょう。
あと、当館HPにもupしてますが、ロブ・ゾンビの『ハロウィン』も公開決定してます。
こちらが先ですね。10月です。
ロブ・ゾンビは監督の名前です。ややこしいですが。あのホワイト・ゾンビのロブ・ゾンビですよ。といってもピンときませんよね。
グラインドハウスの2作の間のフェイク予告編のひとつを撮ってました。
ホラーマニアな人なのでカーペンターの『ハロウィン』のリメイクといっても一筋縄ではいかないものを届けてくれそうです。
ホラーも相変わらずたくさん製作されていて何かとチェックしてますが、ゾンビもんでいうと『REC/レック』というスペインの映画がありました。
POV(主観)カメラでのやつですが、テレビドキュメンタリーの取材中にあるアパートに潜入したら、住人が騒いでいる。
どうやら上の階で叫び声が聞こえたので向かってみると..。というよくある感じですが、低予算ながらなかなか見応えはあった。
狭い通路の奥に得体の知れない人影という画はぐっとくるものがあります。
あと最近の『ワン・ミス・コール』はいけない。「着信アリ」のリメイクですか。
元のも別に大したことはないけれども、このリメイクはつまらない。
最初の1シーンで駄目だと思いました。たぶんあまりホラー映画とか観ない人が作ったんだろうな。
脅かすのも結構だが、自分は一度も驚かされなかったよ。ホラーどころかショッカーにもならない。半端。
第一、現代の文明の利器でもある携帯電話をうまく活かせてるとは思えない。都市伝説的なネタにしかならないと思うなあ。
ケータイは恐怖映画とはたぶん相性が悪いと僕は踏んでいます。
拾い物では最近『スター・シップ・トゥルーパーズ3』がよかったなあ。
こんなによく汗をかく自分ではなかったのに。代謝がよくなったと理解しておきます。
こんにちは、uedaです。
いま、興奮気味の自分を10倍抑えて冷静を装っています。
でも、抑えきれないなあ..。
今年はどんな年? 北京五輪の年?いまテレビに釘付けです(でもないか..)
開会式は張芸謀(チャン・イーモウ)監督の演出でしたね。
もう他のヴァラエティ番組とか見れなくなってしまうほどに熱が入ります。
もう政治的なゴタゴタを吹き飛ばすほど、選手には頑張っていただきたい。
本当に彼らの真剣な眼差しは、こちらの背筋を正すほどポジティヴなエネルギーに溢れていますね。
そして、もう一つ大事なこと。
ゾンビのジョージ・A・ロメロの新作『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』の公開が控えている。
五輪のあとにこんなこと言うとふざけてるのかと怒られそうですが、ゾンビファン待望の新作です。
彼らはこの2008年という記念すべき年に走りません。
人の10倍ゆっくり歩行します。
スポーツの祭典とは似つかわしくない究極の「負」の躍動感!「腐」の躍動感!
そうですよ。ゾンビは走るのが当たり前なんて普通に思っている若者には改めて原点に帰ってもらわねば!
本家本元、ロメロの新作に泣いて叫べ!なんてね。
そんな新作『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』の京都公開が当館に決まりました。
ええ。個人的にも待ってましたよ。1年ほど待ってました。
ロメロ監督が今回は本気でインディペンデントで制作に乗ったようなのでメジャーではないと聞いていたので期待も高鳴りましたよ。ロメロ本気なんですよ、証拠がこれ↓
http://www.myspace.com/diaryofthedead
「ランド・オブ~」はメジャーだったのでまあ、いろいろ要請が強すぎて好きなようにはいかなかったのかな。
とりあえず新作は11月に公開です。首を長くして待ちましょう。
あと、当館HPにもupしてますが、ロブ・ゾンビの『ハロウィン』も公開決定してます。
こちらが先ですね。10月です。
ロブ・ゾンビは監督の名前です。ややこしいですが。あのホワイト・ゾンビのロブ・ゾンビですよ。といってもピンときませんよね。
グラインドハウスの2作の間のフェイク予告編のひとつを撮ってました。
ホラーマニアな人なのでカーペンターの『ハロウィン』のリメイクといっても一筋縄ではいかないものを届けてくれそうです。
ホラーも相変わらずたくさん製作されていて何かとチェックしてますが、ゾンビもんでいうと『REC/レック』というスペインの映画がありました。
POV(主観)カメラでのやつですが、テレビドキュメンタリーの取材中にあるアパートに潜入したら、住人が騒いでいる。
どうやら上の階で叫び声が聞こえたので向かってみると..。というよくある感じですが、低予算ながらなかなか見応えはあった。
狭い通路の奥に得体の知れない人影という画はぐっとくるものがあります。
あと最近の『ワン・ミス・コール』はいけない。「着信アリ」のリメイクですか。
元のも別に大したことはないけれども、このリメイクはつまらない。
最初の1シーンで駄目だと思いました。たぶんあまりホラー映画とか観ない人が作ったんだろうな。
脅かすのも結構だが、自分は一度も驚かされなかったよ。ホラーどころかショッカーにもならない。半端。
第一、現代の文明の利器でもある携帯電話をうまく活かせてるとは思えない。都市伝説的なネタにしかならないと思うなあ。
ケータイは恐怖映画とはたぶん相性が悪いと僕は踏んでいます。
拾い物では最近『スター・シップ・トゥルーパーズ3』がよかったなあ。



