2008年05月31日
TVをみる
昨日、ひさしぶりにMステを見ていたらさりげにマライア・キャリーが出ていて笑った。
いや、笑ってはいけないし、出オチみたいな扱いで失礼だが格好は相変わらずのボディコンだ。
もうこんな言葉使われることはないであろう昨今に何のブレもなく間違いなくボディコンであった。や、でもあの時代を知らないかもしれぬ若い女性が普通に街でボディコン的ファッションに身を包んでいる姿をみて「ああ、ひとまわりしてきたか」と思わざるをえない。
「おかえり」とでもいっておこうか。まあ、今のそういったファッションのモデルは明らかにR&Bなんかの黒人のファッションを日本のギャルファッションにうまくスライドさせてるだけで着ている本人らはきわめて無自覚であるのは見てとれる。
何はともあれマライアである。結婚した。2度目の。
前の旦那はソニーの社長でミミ(マライアの愛称)も若かったから、お嬢扱いでカゴの中の鳥だったらしいから、今はひとまわり近く年下の俳優ニック・キャノンとめでたくゴールインてことでよかったよかった。一時、「グリッター」とかに出演していた頃は彼女、超病んでいて痛々しかった。どんどん露出狂になってくし。のわりに、太っていったし。
昨日のMステでも、「わたし、とっても今しあわせ!」というオーラを放ちまくっていた。
夫婦で来日したとかなんとか。ほんまどうでもええ。ミミをここまでちやほやしてくれるのは最も日本である。もうこの番組でも彼女への照明だけ異常に明るかった!スポットライトかと思ったもの。となりの通訳の方に落ちるミミの影が一段と濃かったので、ああ、ミミには特段明るく当てているのだなと思った。これも契約のうちに入っているのだろうか。
日本のスタジオの照明は少し暗いと聞いたことがある。それか、ミミのVIPさを際立たせるための演出か。「すこし暗いわね」と彼女がインしたときにポロッと漏らしたのかもしれない。スタッフが慌てて「スポット〜!!ピンのスポット用意しろォ」と狂ったのかもしれない。
なにしろ、新婚のミミさんは一際白かった。後ろにいる日本のアーティストはそのせいでどんよりしていた。あれ以来ひさしぶりのクーさんもおかげで黒かった。
マライア"耳"キャリーはゴールデンタイムだというのにとびっきりのエロい歌を披露して帰った。"Touch My Body"って。それでそのボディコンか。やらしいぞ。
どんなふうに歌詞を訳してテロップ出すか、楽しみに注意して見ていたら結構やんわりとぼかして訳していた。「ベッドに押し倒して!」とは出せないのか「放って〜」ぐらいになっていた。他にもここで書くのをためらわせる内容を歌っていた。それなら別に英語のまま出せばいいのではないかとも思った。まあ、R&Bは大方エロいことしか言っていない。ブラック・ミュージックはそういうものだ。みんなベッドのことしか歌わない。エミネムの「8マイル」のようなものばかりではない。ラップでもエロさは過激だ。だから、日本の番組に出るといつも何のことやらよくわからん体でぼやっと訳すのが常套だ。
そして、Mステといえばスタジオライブなので他のアーティストが披露している間、後ろでかわいく「緊張するな〜」「もう出番終わったのねん、ボク」というそれぞれのモチベーションを隠しきれずにちょこんと座って油断している姿でさえもカメラに晒されている。
出番でないときも行儀よく時間いっぱい待機しているのだ。ささやかで謙虚である。
ところが外タレはどうか。待ってられるのか。「わたし、ここで何してるの?」と聞くやつまでいるだろう。かつて楽屋から出てこなかったのまでいた。タモリさんを困らせてはいけない。タモさんの顔を生放送でひきつらせてはいけない。
耳さんはたっぷり迷惑なフェロモンをふりまいてお得意のサービス精神ぎりぎりのところで上機嫌で去っていったとさ。
さて、昨日のMステは先程も書いたクーさんが出ていた。
「あの発言から2ヶ月..久々の復活!」と画面下にテロップが出ていた。
うそ。やんわりと歓迎されていた。先程も書いたがクーさんは黒かった。
あの関西弁風味のイントネーションやめてくれ。関西人がきいてもつらい。
そして昨日は「キマグレン」なるサーフミュージックをやるへんな名前の二人組が出ていた。
キマグレン。漢字で書くと鬼魔愚連。めちゃくちゃ悪そうである。彼らと待ち合わせをしたら来るまでに2,3人ほど人を殺してきそうである。べつに漢字にする必要はないが。
今度やる「ブルー、ブルー、ブルー」というアメリカのサーフ映画の予告でこの人らの曲がかかっていた。なんかそれっぽいサーフっぽい爽やかなギターが効いた曲だったが歌詞が日本語だったので、ハリウッド映画に日本語の歌がのってるとミスマッチさが間抜けで笑うてしもた。なので憶えていた。気紛れん。サーフ音楽というよりリズムがラテンというかジプシーみたいだったけど。まあいいや。気紛れん。休む暇くれん。
あと、、、ザ・クロマニョンズもいた。いい兄ちゃんだった。
もうすぐ6月なので結婚式のBGMランキングをやっていた。
タモリが「なにがジューンブライドじゃ。なんでこんな梅雨のじめじめしたときにわざわざ式挙げるんじゃ!呼ばれる方も迷惑だ。」といつもの調子。
アメリカの風習をそのまま持ち込むなと言っていた。日本では事情は別だと。
呑気なハッピー具合に飲み込まれないタモリはほんといいやつ。自分の番組なのに。
あとは、えーと..えーと..。
知らんうちにMステのレビューやってるわ。では、このへんで。
weda,
いや、笑ってはいけないし、出オチみたいな扱いで失礼だが格好は相変わらずのボディコンだ。
もうこんな言葉使われることはないであろう昨今に何のブレもなく間違いなくボディコンであった。や、でもあの時代を知らないかもしれぬ若い女性が普通に街でボディコン的ファッションに身を包んでいる姿をみて「ああ、ひとまわりしてきたか」と思わざるをえない。
「おかえり」とでもいっておこうか。まあ、今のそういったファッションのモデルは明らかにR&Bなんかの黒人のファッションを日本のギャルファッションにうまくスライドさせてるだけで着ている本人らはきわめて無自覚であるのは見てとれる。
何はともあれマライアである。結婚した。2度目の。
前の旦那はソニーの社長でミミ(マライアの愛称)も若かったから、お嬢扱いでカゴの中の鳥だったらしいから、今はひとまわり近く年下の俳優ニック・キャノンとめでたくゴールインてことでよかったよかった。一時、「グリッター」とかに出演していた頃は彼女、超病んでいて痛々しかった。どんどん露出狂になってくし。のわりに、太っていったし。
昨日のMステでも、「わたし、とっても今しあわせ!」というオーラを放ちまくっていた。
夫婦で来日したとかなんとか。ほんまどうでもええ。ミミをここまでちやほやしてくれるのは最も日本である。もうこの番組でも彼女への照明だけ異常に明るかった!スポットライトかと思ったもの。となりの通訳の方に落ちるミミの影が一段と濃かったので、ああ、ミミには特段明るく当てているのだなと思った。これも契約のうちに入っているのだろうか。
日本のスタジオの照明は少し暗いと聞いたことがある。それか、ミミのVIPさを際立たせるための演出か。「すこし暗いわね」と彼女がインしたときにポロッと漏らしたのかもしれない。スタッフが慌てて「スポット〜!!ピンのスポット用意しろォ」と狂ったのかもしれない。
なにしろ、新婚のミミさんは一際白かった。後ろにいる日本のアーティストはそのせいでどんよりしていた。あれ以来ひさしぶりのクーさんもおかげで黒かった。
マライア"耳"キャリーはゴールデンタイムだというのにとびっきりのエロい歌を披露して帰った。"Touch My Body"って。それでそのボディコンか。やらしいぞ。
どんなふうに歌詞を訳してテロップ出すか、楽しみに注意して見ていたら結構やんわりとぼかして訳していた。「ベッドに押し倒して!」とは出せないのか「放って〜」ぐらいになっていた。他にもここで書くのをためらわせる内容を歌っていた。それなら別に英語のまま出せばいいのではないかとも思った。まあ、R&Bは大方エロいことしか言っていない。ブラック・ミュージックはそういうものだ。みんなベッドのことしか歌わない。エミネムの「8マイル」のようなものばかりではない。ラップでもエロさは過激だ。だから、日本の番組に出るといつも何のことやらよくわからん体でぼやっと訳すのが常套だ。
そして、Mステといえばスタジオライブなので他のアーティストが披露している間、後ろでかわいく「緊張するな〜」「もう出番終わったのねん、ボク」というそれぞれのモチベーションを隠しきれずにちょこんと座って油断している姿でさえもカメラに晒されている。
出番でないときも行儀よく時間いっぱい待機しているのだ。ささやかで謙虚である。
ところが外タレはどうか。待ってられるのか。「わたし、ここで何してるの?」と聞くやつまでいるだろう。かつて楽屋から出てこなかったのまでいた。タモリさんを困らせてはいけない。タモさんの顔を生放送でひきつらせてはいけない。
耳さんはたっぷり迷惑なフェロモンをふりまいてお得意のサービス精神ぎりぎりのところで上機嫌で去っていったとさ。
さて、昨日のMステは先程も書いたクーさんが出ていた。
「あの発言から2ヶ月..久々の復活!」と画面下にテロップが出ていた。
うそ。やんわりと歓迎されていた。先程も書いたがクーさんは黒かった。
あの関西弁風味のイントネーションやめてくれ。関西人がきいてもつらい。
そして昨日は「キマグレン」なるサーフミュージックをやるへんな名前の二人組が出ていた。
キマグレン。漢字で書くと鬼魔愚連。めちゃくちゃ悪そうである。彼らと待ち合わせをしたら来るまでに2,3人ほど人を殺してきそうである。べつに漢字にする必要はないが。
今度やる「ブルー、ブルー、ブルー」というアメリカのサーフ映画の予告でこの人らの曲がかかっていた。なんかそれっぽいサーフっぽい爽やかなギターが効いた曲だったが歌詞が日本語だったので、ハリウッド映画に日本語の歌がのってるとミスマッチさが間抜けで笑うてしもた。なので憶えていた。気紛れん。サーフ音楽というよりリズムがラテンというかジプシーみたいだったけど。まあいいや。気紛れん。休む暇くれん。
あと、、、ザ・クロマニョンズもいた。いい兄ちゃんだった。
もうすぐ6月なので結婚式のBGMランキングをやっていた。
タモリが「なにがジューンブライドじゃ。なんでこんな梅雨のじめじめしたときにわざわざ式挙げるんじゃ!呼ばれる方も迷惑だ。」といつもの調子。
アメリカの風習をそのまま持ち込むなと言っていた。日本では事情は別だと。
呑気なハッピー具合に飲み込まれないタモリはほんといいやつ。自分の番組なのに。
あとは、えーと..えーと..。
知らんうちにMステのレビューやってるわ。では、このへんで。
weda,
2008年05月31日
庭から昇ったロケット雲
『庭から昇ったロケット雲』7.5(土)公開。

↑自家製宇宙服&ザ・ロケットで宇宙へ旅立つ農場夫、ビリー・ボブ・ソーントン。
ダメダメだけど、イカしてる。スペイシーな男。がんばれ!ビリー!!

詳細→http://www.cinell.net/syousai/niwa.shtml

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ダメダメだけど、イカしてる。スペイシーな男。がんばれ!ビリー!!

詳細→http://www.cinell.net/syousai/niwa.shtml
2008年05月28日
おめかしと挑戦
台風が接近してるという。
今日から京都は湿気でじとじとべとべとだ。雨がくる。
長袖ではとても暑くておれません。
こんにちは、uedaです。
ただいま当館にて晩一回のみ上映中の『裸足のギボン』、この映画のポスターに映っているギボン(この映画の主役のシン・ヒョンジュンね。)はどうして裸足ではないのか。
なぜにシューズを履いているのか。
いや、普通なら誰だってシューズくらい履いてますよ。外を歩く時は靴の1足や2足履くのはあたりまえ。いや、2足は履かないな。
でも、ギボンにとっては外に出る時も裸足があたりまえ。街に出る時は履くかもしれない。
でもいつもは裸足で走る人なんですね。
そんなギボンが大好きなお母さんと並んで、しかもきれいなシューズを履いている。
これはもうギボンにとっては日常ではない光景なんですね。
ポスターのこのカットは裸足のギボンがなぜ裸足でないのか。それがずっと引っかかってたのです。
それがこの映画を見てわかりました。
身体の障害を抱えていままで歩んできた生活と何かが違うわけです。
日常の生活も力いっぱいいつも明るく精一杯生きているギボンですが、それだけで十分に魅力的なギボンなのですがこのときばかりは何かが違う。
その記録です。ギボンのいつもと変わらぬ日常からもう少し延長線を引いた、美しい記録である。
人が走る姿を見るとどうしても感動してしまう。なぜだろう。
そして、なんの目的もなく当たり前のようにいつも走っているギボンに魅了されてしまう。
なぜ走るのか。それが、日常だからである。意味などない。
強いて言うなら家をひととき離れたギボンにはいつも家に母がいるからである。
家に母がいて、外に出るときは走るのがギボンの日常そのものだから。
どんなに遠く離れても走って帰る。それがギボン。
そんなギボンに初めて「走ること」への目的を与えられる。
いつもやっていることにさらにギボンは挑戦する。
その記録だ。ギボンのあたりまえの光景とあたりまえの日常をきちんと美しいフィルムに収めている。昨今の邦画ではなかなか見られない、これもあたりまえのはずの美しいフィルム撮影!(当然、プリント上映)
それだけで十分いい映画になっている。
登場する役者がこれまためちゃくちゃいい顔をする。なんか純粋に韓国の役者の底の厚さを感じた。もう韓流スターとかもうそういうのとは違う次元でごろごろスゴイ映画俳優がいてるのだろうな。僕が知らないだけで。こういう普通の生活感を何の気取りもなく滲み出せる俳優は日本でそう多くはみつからない。こうやって品質の平均点の高さを見せられると嬉しくなる。
今週で終わるが、もっと見られてほしかった。
昼間に上映できればもっと違ったかもしれないが、こんな時間ですみません。
問い合わせが多かっただけに残念である。
それにしても、この映画、かなりコメディなのだが笑っていたのが自分だけだったので少し恐縮しました。
今日から京都は湿気でじとじとべとべとだ。雨がくる。
長袖ではとても暑くておれません。
こんにちは、uedaです。
ただいま当館にて晩一回のみ上映中の『裸足のギボン』、この映画のポスターに映っているギボン(この映画の主役のシン・ヒョンジュンね。)はどうして裸足ではないのか。
なぜにシューズを履いているのか。
いや、普通なら誰だってシューズくらい履いてますよ。外を歩く時は靴の1足や2足履くのはあたりまえ。いや、2足は履かないな。
でも、ギボンにとっては外に出る時も裸足があたりまえ。街に出る時は履くかもしれない。
でもいつもは裸足で走る人なんですね。
そんなギボンが大好きなお母さんと並んで、しかもきれいなシューズを履いている。
これはもうギボンにとっては日常ではない光景なんですね。
ポスターのこのカットは裸足のギボンがなぜ裸足でないのか。それがずっと引っかかってたのです。
それがこの映画を見てわかりました。
身体の障害を抱えていままで歩んできた生活と何かが違うわけです。
日常の生活も力いっぱいいつも明るく精一杯生きているギボンですが、それだけで十分に魅力的なギボンなのですがこのときばかりは何かが違う。
その記録です。ギボンのいつもと変わらぬ日常からもう少し延長線を引いた、美しい記録である。
人が走る姿を見るとどうしても感動してしまう。なぜだろう。
そして、なんの目的もなく当たり前のようにいつも走っているギボンに魅了されてしまう。
なぜ走るのか。それが、日常だからである。意味などない。
強いて言うなら家をひととき離れたギボンにはいつも家に母がいるからである。
家に母がいて、外に出るときは走るのがギボンの日常そのものだから。
どんなに遠く離れても走って帰る。それがギボン。
そんなギボンに初めて「走ること」への目的を与えられる。
いつもやっていることにさらにギボンは挑戦する。
その記録だ。ギボンのあたりまえの光景とあたりまえの日常をきちんと美しいフィルムに収めている。昨今の邦画ではなかなか見られない、これもあたりまえのはずの美しいフィルム撮影!(当然、プリント上映)
それだけで十分いい映画になっている。
登場する役者がこれまためちゃくちゃいい顔をする。なんか純粋に韓国の役者の底の厚さを感じた。もう韓流スターとかもうそういうのとは違う次元でごろごろスゴイ映画俳優がいてるのだろうな。僕が知らないだけで。こういう普通の生活感を何の気取りもなく滲み出せる俳優は日本でそう多くはみつからない。こうやって品質の平均点の高さを見せられると嬉しくなる。
今週で終わるが、もっと見られてほしかった。
昼間に上映できればもっと違ったかもしれないが、こんな時間ですみません。
問い合わせが多かっただけに残念である。
それにしても、この映画、かなりコメディなのだが笑っていたのが自分だけだったので少し恐縮しました。
2008年05月27日
先が見えない
6/7より当館にて『幻影師 アイゼンハイム』が公開します。
東京だと駅などにデカデカとポスターが展開されていました。
関西ではまだ見かけたことはありません。あからさまな温度差。
ぜひともご覧になってください。お相手はジェシカ・ビール嬢ですよ。
あのスカーレット・ヨハンソンにも通ずるぼおっとした子豚フェイスもなかなかの味なのですが、やはり魅力はあの均整のとれたカラダ。
だから今回は時代モノなだけにごわごわしたドレスで魅力を発揮できるのか心配。
でも、統計的に時代ものは...なんですね!!!
アルバの方のコメディ路線の新作もたのしみですが、まずはこないだの『NEXT』に続きビールの方を!まだ未見ですが、邪な期待に応えてくれるかもしれません。
自分、今気づきましたが、ジェシカって名の人みんな好きです。きっと。
あのPJの人も。
ちなみにジェシカ・アルバは僕と同じ歳です。どうでもいいですね。
それぞれに活躍を期待しております。
宣伝はこのへんで、この間『ミスト』を見てきました。
この間といっても1週間前ですが。
あえて黙ってましたが、もうここらへんでいいやろうと。
内容には触れませんが、ここんとこずっと会う人会う人に「とりあえず見てくれ」と触れ回っている。いらん情報が入ってくると、先入観ができて見たり見られなかったりするとまずい。
ま、とりあえず僕のなかではベスト候補です、とだけ言っておきます。
この作品に惚れ込んでしまいました。
こうやって言うだけで先入観を与えてしまうかもしれませんが、それも忘れていただいてぜひとも見ていただいて極力フラットに楽しんでもらいたいですね。
そして、この映画のことをちょっと考えてもらいたい。
完成度の高い娯楽作なんですが、ちょっと簡単には消化しきれない(させない)ものになってます。
じつは、この映画の監督フランク・ダラボンはクリーチャー系のSFパニックの傑作『ブロブ/宇宙からの不明物体』『ザ・フライ2/二世誕生』の脚本の人で、パンフでそれを確認して驚いた。この2作は幼少のころ何度も見て興奮した。めちゃくちゃおもしろいけどめちゃくちゃ怖かった。「人間はこの先どうなっていくんだ?」と子供ながらに初めて"暗い未来"を想像した。もうそれだけで自分の幼少の映画の記憶と現在が繋がって興奮する。
そして、まったく知らずに見たのだが、この監督は作家スティーブン・キングともプライベートでも仲が良いらしい。現に今作を含めほとんどの監督作がキング原作だ。
僕は「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」も同じ監督であることを知らなかった。
だから、こないだテレビでやってたのか。
どちらもレンタルビデオ店なんかではヒューマン映画の名作として推薦されてるけど、
個人的にはどちらも全然好きではありません。人間のせこさが目立つ貧相な映画だと思う。希望って..。
まあ、職人的にわかりやすい明快な娯楽作を作る手腕をもっている監督だといえる。
わかってやっているんですがね。
そんな映画で名をあげた(いや、のわりには監督はそれほど有名にはなっていない)ダラボン監督も嘘のように今回では演出が冴えきっている。
いや、あの傑作「ブロブ」なんかでみせた人間の愚行や人間に対する極めて厳しい目線が全編に冴え渡っている。泣いた。もう泣きましたよ..。
もうね、この感じ。この感じが本当に映画に求めてしまうものですわ。
こういう後味を味わいたくて日々いろんな映画を見ているといってもよいですね。
このような境地に落とし込んでくれる映画はそうないな。
ほんでこれもまた、ひどくアメリカのことを考えてしまう。
ああ、いま「アメリカ」..なんかひどく病んでるなあ。
そんな病んでる姿もこのように作品として吐き出されるだけまだ健全か。
どっかの国なんて同じように国そのものが停滞してても「放棄」どころか思考停止してるもん。半径30センチのことにしか想像や思考が巡らないおっとりした国の人たち。
明日、霧に覆われたらどうなることやら。
ueda,
東京だと駅などにデカデカとポスターが展開されていました。
関西ではまだ見かけたことはありません。あからさまな温度差。
ぜひともご覧になってください。お相手はジェシカ・ビール嬢ですよ。
あのスカーレット・ヨハンソンにも通ずるぼおっとした子豚フェイスもなかなかの味なのですが、やはり魅力はあの均整のとれたカラダ。
だから今回は時代モノなだけにごわごわしたドレスで魅力を発揮できるのか心配。
でも、統計的に時代ものは...なんですね!!!
アルバの方のコメディ路線の新作もたのしみですが、まずはこないだの『NEXT』に続きビールの方を!まだ未見ですが、邪な期待に応えてくれるかもしれません。
自分、今気づきましたが、ジェシカって名の人みんな好きです。きっと。
あのPJの人も。
ちなみにジェシカ・アルバは僕と同じ歳です。どうでもいいですね。
それぞれに活躍を期待しております。
宣伝はこのへんで、この間『ミスト』を見てきました。
この間といっても1週間前ですが。
あえて黙ってましたが、もうここらへんでいいやろうと。
内容には触れませんが、ここんとこずっと会う人会う人に「とりあえず見てくれ」と触れ回っている。いらん情報が入ってくると、先入観ができて見たり見られなかったりするとまずい。
ま、とりあえず僕のなかではベスト候補です、とだけ言っておきます。
この作品に惚れ込んでしまいました。
こうやって言うだけで先入観を与えてしまうかもしれませんが、それも忘れていただいてぜひとも見ていただいて極力フラットに楽しんでもらいたいですね。
そして、この映画のことをちょっと考えてもらいたい。
完成度の高い娯楽作なんですが、ちょっと簡単には消化しきれない(させない)ものになってます。
じつは、この映画の監督フランク・ダラボンはクリーチャー系のSFパニックの傑作『ブロブ/宇宙からの不明物体』『ザ・フライ2/二世誕生』の脚本の人で、パンフでそれを確認して驚いた。この2作は幼少のころ何度も見て興奮した。めちゃくちゃおもしろいけどめちゃくちゃ怖かった。「人間はこの先どうなっていくんだ?」と子供ながらに初めて"暗い未来"を想像した。もうそれだけで自分の幼少の映画の記憶と現在が繋がって興奮する。
そして、まったく知らずに見たのだが、この監督は作家スティーブン・キングともプライベートでも仲が良いらしい。現に今作を含めほとんどの監督作がキング原作だ。
僕は「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」も同じ監督であることを知らなかった。
だから、こないだテレビでやってたのか。
どちらもレンタルビデオ店なんかではヒューマン映画の名作として推薦されてるけど、
個人的にはどちらも全然好きではありません。人間のせこさが目立つ貧相な映画だと思う。希望って..。
まあ、職人的にわかりやすい明快な娯楽作を作る手腕をもっている監督だといえる。
わかってやっているんですがね。
そんな映画で名をあげた(いや、のわりには監督はそれほど有名にはなっていない)ダラボン監督も嘘のように今回では演出が冴えきっている。
いや、あの傑作「ブロブ」なんかでみせた人間の愚行や人間に対する極めて厳しい目線が全編に冴え渡っている。泣いた。もう泣きましたよ..。
もうね、この感じ。この感じが本当に映画に求めてしまうものですわ。
こういう後味を味わいたくて日々いろんな映画を見ているといってもよいですね。
このような境地に落とし込んでくれる映画はそうないな。
ほんでこれもまた、ひどくアメリカのことを考えてしまう。
ああ、いま「アメリカ」..なんかひどく病んでるなあ。
そんな病んでる姿もこのように作品として吐き出されるだけまだ健全か。
どっかの国なんて同じように国そのものが停滞してても「放棄」どころか思考停止してるもん。半径30センチのことにしか想像や思考が巡らないおっとりした国の人たち。
明日、霧に覆われたらどうなることやら。
ueda,
2008年05月25日
スーパーカブ
当館にて5月31日より『スーパーカブ』公開!!
鳴り止まないエンジン音、耳をつんざくサイレン!!
峠で知られた走り屋が、ひょんなことから出前ライダーに!
愛と友情と蕎麦を乗っけたハイテンション・バイクアクション!

連日 18:40より1回のみ上映
*6/7(土)より上映時間変更。 2週間限定上映、お見逃しなく!
詳細→http://www.cinell.net/syousai/cub.shtml
鳴り止まないエンジン音、耳をつんざくサイレン!!
峠で知られた走り屋が、ひょんなことから出前ライダーに!
愛と友情と蕎麦を乗っけたハイテンション・バイクアクション!

連日 18:40より1回のみ上映
*6/7(土)より上映時間変更。 2週間限定上映、お見逃しなく!
詳細→http://www.cinell.net/syousai/cub.shtml
2008年05月24日
映画を爆音で見ると!
今朝、東京から帰ってきたところ。
こんにちは、uedaです。
東京は吉祥寺のバウスシアターでの爆音映画祭に参加してきました。
ニュース番組などにも取り上げられ、少し話題にもなっていましたが僕も日頃から気になって何ヶ月か前から動向をチェックしていたのでやはりというか、ここは体験してみようということになり、他館の友人とちょこちょこ調整しつつ勢いで東京まで乗り込む運びとなった。
正直、これは驚きの体験であった。音が立体的に襲ってくるような体感である。
しかも、ただヴォリュームを上げただけの代物ではない。
こんなにも音が立つだけで映画そのものの印象まで変わるものかと感心しっぱなしであった。
北野武の『3-4X10月』は大変静かな映画だ。
普通の音で聴けば、気にもならない意識すらしないかもしれない状況音を例えば風の音や砂煙の立つ音がここで大きなスクリーンを前にするわれわれに立体的に立ちはだかる。
バットをぶんっと振る音がその場の空気の振動としてスピーカーから観客に押し寄せてくる。
もうこれは何だろうな、圧倒的に緻密な音響設計の成せる技なのかもしれないが、観客としては映画を見る際、それらの問題は当然クリアされたものとして聞こえてくる。
しかし、爆音と名打っている以上、その「音」そのものを期待してくる者にどれほどにアプローチできるかが当たり前ではあるが最大の難問だと思う。
音量そのものを通常の何倍も上げることは諸刃の剣でもあるからだ。上げることで良いように
変わるものもあれば、元のレンジが狭すぎる場合など上げることで音自体が割れてしまったり、破壊しかねない。そういったバランスの難しさはいくつでも想像できる。
上映を断念した作品もいくつかあったともきく。
しかし、結果的にそういった技術者の苦労も報われるカタチで上映が成されたと思う。
少なくとも僕が鑑賞した何本かの作品は最高の音響であった。
あの『ワイルドバンチ』は初めて見たときと印象が違いすぎて本当に驚いた。
これも元のプリントが出鱈目な振り分けの5.1chで設計をかなり苦労されたとおっしゃられていた。結局モノラルに近い形で上映された。銃声音の嵐である。
爆音ときくと一見、音楽に耳を奪われるかと思いきやここではやはり状況音に意識的になる。
やはり音が美しく、はっきりと聞こえるからだ。日頃、空気の音など感じることもなかろうが映画ではそれらも当然のこととしてきちんと作られているわけだ。
嗚呼、うらやましい。あのスピーカーと上映環境。
そして、音の再建によって「映画」そのものが息を吹き返すというアイデア。
シンプルな発想のようであるが、そう簡単なものではない。
最後の『スクール・オブ・ロック』は満席近く、お祭りのようであったが他の作品もそうであったかというと厳しい。もっと見られるべきである。
東京でさえこんなにも映画を見る人間が貧窮しているのかとため息も出る。
どこの映画館に行ってもがらがらだった。ううむ。
こんなにも有意義な企画があるのにどうしてだろう。
渋谷のケーブルホーグ企画も最高なんだけどな。
こんにちは、uedaです。
東京は吉祥寺のバウスシアターでの爆音映画祭に参加してきました。
ニュース番組などにも取り上げられ、少し話題にもなっていましたが僕も日頃から気になって何ヶ月か前から動向をチェックしていたのでやはりというか、ここは体験してみようということになり、他館の友人とちょこちょこ調整しつつ勢いで東京まで乗り込む運びとなった。
正直、これは驚きの体験であった。音が立体的に襲ってくるような体感である。
しかも、ただヴォリュームを上げただけの代物ではない。
こんなにも音が立つだけで映画そのものの印象まで変わるものかと感心しっぱなしであった。
北野武の『3-4X10月』は大変静かな映画だ。
普通の音で聴けば、気にもならない意識すらしないかもしれない状況音を例えば風の音や砂煙の立つ音がここで大きなスクリーンを前にするわれわれに立体的に立ちはだかる。
バットをぶんっと振る音がその場の空気の振動としてスピーカーから観客に押し寄せてくる。
もうこれは何だろうな、圧倒的に緻密な音響設計の成せる技なのかもしれないが、観客としては映画を見る際、それらの問題は当然クリアされたものとして聞こえてくる。
しかし、爆音と名打っている以上、その「音」そのものを期待してくる者にどれほどにアプローチできるかが当たり前ではあるが最大の難問だと思う。
音量そのものを通常の何倍も上げることは諸刃の剣でもあるからだ。上げることで良いように
変わるものもあれば、元のレンジが狭すぎる場合など上げることで音自体が割れてしまったり、破壊しかねない。そういったバランスの難しさはいくつでも想像できる。
上映を断念した作品もいくつかあったともきく。
しかし、結果的にそういった技術者の苦労も報われるカタチで上映が成されたと思う。
少なくとも僕が鑑賞した何本かの作品は最高の音響であった。
あの『ワイルドバンチ』は初めて見たときと印象が違いすぎて本当に驚いた。
これも元のプリントが出鱈目な振り分けの5.1chで設計をかなり苦労されたとおっしゃられていた。結局モノラルに近い形で上映された。銃声音の嵐である。
爆音ときくと一見、音楽に耳を奪われるかと思いきやここではやはり状況音に意識的になる。
やはり音が美しく、はっきりと聞こえるからだ。日頃、空気の音など感じることもなかろうが映画ではそれらも当然のこととしてきちんと作られているわけだ。
嗚呼、うらやましい。あのスピーカーと上映環境。
そして、音の再建によって「映画」そのものが息を吹き返すというアイデア。
シンプルな発想のようであるが、そう簡単なものではない。
最後の『スクール・オブ・ロック』は満席近く、お祭りのようであったが他の作品もそうであったかというと厳しい。もっと見られるべきである。
東京でさえこんなにも映画を見る人間が貧窮しているのかとため息も出る。
どこの映画館に行ってもがらがらだった。ううむ。
こんなにも有意義な企画があるのにどうしてだろう。
渋谷のケーブルホーグ企画も最高なんだけどな。
2008年05月18日
魔法にかけられた
『魔法にかけられて』やっとみました。
以下ネタバレあるので注意!
おとぎ話の国に住んでいたジゼル姫は彼女の事を良く思わない魔女(エドワードの継母)に恐ろしい場所へ飛ばされてしまうのです。
「恐ろしいところへ飛ばしてやる!」で、N.Yの交差点のど真ん中からふんわふんわのウエディングドレスを着た女の子がはい出してくるのですけど、意外に年いってたので、あ!となりました。(アニメのシーンでのジゼルは運命の人との出会いを夢見ているという女の子なので、当然年も若くて十代くらいと思ってたので)
でも、それもなんか見ていると彼女のかわいさに、ま、いっかってなりました。『うた魂』のゴリが高校生に見えてしまうのと一緒です。映画の力ですかね。
N.Yでも出会いはあって…。ジゼルは運命の人さてそれは???
この映画を見ているときの顔は正直あまり見て欲しくありません。始終にやにやしてるから。
1chにもかわいらしい乙女心が少しはあったようです。
このGWにも親戚の叔母夫婦に年齢を聞かれ、驚かれ、若い奴を紹介してやると言われ、ああこの人が私の王子になるのか、と思ったり思わなかったり。その王子の情報はとんがった靴を履いているということぐらいです。なんだそれは。
それはいいとして。
あ、運命の人っていいなぁて思える映画でした。いいよ。ほんと。いいよ。
以下ネタバレあるので注意!
おとぎ話の国に住んでいたジゼル姫は彼女の事を良く思わない魔女(エドワードの継母)に恐ろしい場所へ飛ばされてしまうのです。
「恐ろしいところへ飛ばしてやる!」で、N.Yの交差点のど真ん中からふんわふんわのウエディングドレスを着た女の子がはい出してくるのですけど、意外に年いってたので、あ!となりました。(アニメのシーンでのジゼルは運命の人との出会いを夢見ているという女の子なので、当然年も若くて十代くらいと思ってたので)
でも、それもなんか見ていると彼女のかわいさに、ま、いっかってなりました。『うた魂』のゴリが高校生に見えてしまうのと一緒です。映画の力ですかね。
N.Yでも出会いはあって…。ジゼルは運命の人さてそれは???
この映画を見ているときの顔は正直あまり見て欲しくありません。始終にやにやしてるから。
1chにもかわいらしい乙女心が少しはあったようです。
このGWにも親戚の叔母夫婦に年齢を聞かれ、驚かれ、若い奴を紹介してやると言われ、ああこの人が私の王子になるのか、と思ったり思わなかったり。その王子の情報はとんがった靴を履いているということぐらいです。なんだそれは。
それはいいとして。
あ、運命の人っていいなぁて思える映画でした。いいよ。ほんと。いいよ。
2008年05月16日
裸足のギボン
2008年05月13日
となりのストロー
だんだんと昼間は暖かくなって、30度越えの時はTシャツだけでうろうろしてました。
調節が難しいのですが、建物内はエアコンが涼しく効いていたりするので快適。
映画館の場内だと冷え過ぎたりもするのでご注意を。
こんにちは、uedaです。
今日、『大いなる陰謀』を見てきました。
平日でがらがらでしたが、この作品自体あまり入ってないのかも。
ロバート・レッドフォードの映画はひさしぶりな気がしますが、みんな非常によくしゃべる。
こんなにも彼の映画は雄弁だったかしら、というほどに。
これも9.11後というかはイラク戦争後。これは速い。
始めはトム・クルーズとメリル・ストリープがいまさら何を改めてわかりきったことを丁寧に議論し出すのかと、見ているこちらが驚いたがどうもこの戦争、いや9.11以後のアメリカの対応や動向を具体的に批判することが目的なのではなく、この現実をどのように受けとめ認識し行動に転じてゆくか、国が抱える社会における問題点そのものが問題なのではなく、個人がいかに己が対峙する現実を認識するかという方に焦点が絞られていることに何かぼんやりとではあるが説得力を感じた。責任と行動は同じ意味であり、支えられるものはない。いかに若者が現実を認識しようとも、真実に向かおうと賭けてみても否応なしにそれは搾取される。さりとて、この映画は放棄/停滞/沈黙/不在/逃避といったものにも見通しがきかない。「何もしない」ということでさえも、力関係そのものからは逃れられないのだ。
そこにはジャーナリズムも無効であるかのようだ。
なにを犠牲にして国家が成り立っているか、ということも考えることができる。
ここ日本でだって他人事だとは思わない。
あらゆる無関心さが政治の横暴に拍車をかけることになる。
現代では、民意とはマスコミを指すのかと納得する。悲しいが。
それにしても、邦題がテキトー。こんなタイトル出鱈目だよ、古いし。
LIONS FOR LAMBSって原題も見るとそういう映画であることはわかるが、そのままにいくのもつらいし、ニュアンスも伝わらないので難しいか。
どのかたか先生、上手く邦題つけてくださいませんか?
最近、洋画の邦題ひどいです。
それから、ポール・トーマス・アンダーソンの久々の新作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を見たのですが、これがまたとんでもない傑作。
思わず泣いてしまう。
音楽はレディオヘッドのジョニー・グリーンウッド。
全編その音楽が鳴り響きすぎてうるさい気がしないでもないが、良いです。
ぜひとももう一度見たい。うう。
PTAもここまできたかという貫禄。いや、むしろ成熟せずにここまでやれてる気がする。
ここにも「搾取」という題材が..。
シンクレアの原作にも挑戦してみよう。
調節が難しいのですが、建物内はエアコンが涼しく効いていたりするので快適。
映画館の場内だと冷え過ぎたりもするのでご注意を。
こんにちは、uedaです。
今日、『大いなる陰謀』を見てきました。
平日でがらがらでしたが、この作品自体あまり入ってないのかも。
ロバート・レッドフォードの映画はひさしぶりな気がしますが、みんな非常によくしゃべる。
こんなにも彼の映画は雄弁だったかしら、というほどに。
これも9.11後というかはイラク戦争後。これは速い。
始めはトム・クルーズとメリル・ストリープがいまさら何を改めてわかりきったことを丁寧に議論し出すのかと、見ているこちらが驚いたがどうもこの戦争、いや9.11以後のアメリカの対応や動向を具体的に批判することが目的なのではなく、この現実をどのように受けとめ認識し行動に転じてゆくか、国が抱える社会における問題点そのものが問題なのではなく、個人がいかに己が対峙する現実を認識するかという方に焦点が絞られていることに何かぼんやりとではあるが説得力を感じた。責任と行動は同じ意味であり、支えられるものはない。いかに若者が現実を認識しようとも、真実に向かおうと賭けてみても否応なしにそれは搾取される。さりとて、この映画は放棄/停滞/沈黙/不在/逃避といったものにも見通しがきかない。「何もしない」ということでさえも、力関係そのものからは逃れられないのだ。
そこにはジャーナリズムも無効であるかのようだ。
なにを犠牲にして国家が成り立っているか、ということも考えることができる。
ここ日本でだって他人事だとは思わない。
あらゆる無関心さが政治の横暴に拍車をかけることになる。
現代では、民意とはマスコミを指すのかと納得する。悲しいが。
それにしても、邦題がテキトー。こんなタイトル出鱈目だよ、古いし。
LIONS FOR LAMBSって原題も見るとそういう映画であることはわかるが、そのままにいくのもつらいし、ニュアンスも伝わらないので難しいか。
どのかたか先生、上手く邦題つけてくださいませんか?
最近、洋画の邦題ひどいです。
それから、ポール・トーマス・アンダーソンの久々の新作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を見たのですが、これがまたとんでもない傑作。
思わず泣いてしまう。
音楽はレディオヘッドのジョニー・グリーンウッド。
全編その音楽が鳴り響きすぎてうるさい気がしないでもないが、良いです。
ぜひとももう一度見たい。うう。
PTAもここまできたかという貫禄。いや、むしろ成熟せずにここまでやれてる気がする。
ここにも「搾取」という題材が..。
シンクレアの原作にも挑戦してみよう。
2008年05月08日
平成ポップス
今日、世界一の某ハンバーガーショップ(ファクドだったかな)でビッグファックをたのむとまたも箱をあけると中身ぐさぐさ。だるま落としだった。
なんだよ。僕、運が悪いのかなあ。チーズが半分近く横漏れしてた。
よく利用するのにファクド運がない。
ついでにカブスの福留選手は向こうでは名前が卑猥にきこえるというトピック。
たしかにやばいな。そんなのいっぱいあるという例にも驚く。
うちのスタッフにもf**k itさんがいることだし。
なんて卑猥な職場か。
そんなお昼を済まし、タワレコでGWたまりにたまったポイントカード利用でとうとう電気グルーヴの新作をかっさらってくる。
ほんと、日本のメジャーCDは高い。アルバム3000円は泣ける。
シングル何曲かに駄曲をプラスしたくらいのもので3000円はきつい。
すかすかっと全編を聴き終えて、なんとなくというか、だいたい物足りなさを感じてこんなのによく大枚叩いたなと小心気味になる。
すかすかっとJ-POP的なものに簡単に手が出る人はかなり強者で玄人だ。
J-POPはCDTVとかで、流し聴き(ほんとに流れまくる)で消費するものだ。
大きなお金を出して消費できるほど、優雅ではない。
音楽は本当はどんなであれ、楽しめればそれでよい。どんな音楽でも。
消費されようとどうであろうと。J-POPたるもの、僕は人以上に好きなのだ。
あれほど心地よくすかすかな音楽はない。いや、タイに旅行に行ったとき観光地でずっとかかってたタイのPOPソングの方が勝ってたな。もう歌声の後ろでリズムマシーンがポコンポコンなってて楽しかった。もうちょースカスカ。
ということで、電気グルーヴの新作『J-POP』はなにもJ-POPでない。
何度きいてもなかなか3000円を消化できない。(3000円だしてないけど)
こう硬派にくるか! すばらしい。卓球の本気テクノに瀧が加わるから=J-POP。まあ、間違ってはいない。その通りである。
Perfumeなるものが大ヒットしてるのを横目に、というかガン見で8年ぶりというのを当ててくる硬派さ。お手上げなのだ。
ちゃんと売れるか? 心配だ。みんなPerfumeを手に取るよ。
電気のおじさん二人がこんなタイトル付けてくると、くるくる回る女の子3人はプレッシャーだよ。で、タイトルはGAME。しょーもな。ヨコ逸れてるよ。
なんだか、mixiみたいな文章になってて読んでて自分にいやになります。
もうこういうのは、しまいにしよっと。
ueda,
なんだよ。僕、運が悪いのかなあ。チーズが半分近く横漏れしてた。
よく利用するのにファクド運がない。
ついでにカブスの福留選手は向こうでは名前が卑猥にきこえるというトピック。
たしかにやばいな。そんなのいっぱいあるという例にも驚く。
うちのスタッフにもf**k itさんがいることだし。
なんて卑猥な職場か。
そんなお昼を済まし、タワレコでGWたまりにたまったポイントカード利用でとうとう電気グルーヴの新作をかっさらってくる。
ほんと、日本のメジャーCDは高い。アルバム3000円は泣ける。
シングル何曲かに駄曲をプラスしたくらいのもので3000円はきつい。
すかすかっと全編を聴き終えて、なんとなくというか、だいたい物足りなさを感じてこんなのによく大枚叩いたなと小心気味になる。
すかすかっとJ-POP的なものに簡単に手が出る人はかなり強者で玄人だ。
J-POPはCDTVとかで、流し聴き(ほんとに流れまくる)で消費するものだ。
大きなお金を出して消費できるほど、優雅ではない。
音楽は本当はどんなであれ、楽しめればそれでよい。どんな音楽でも。
消費されようとどうであろうと。J-POPたるもの、僕は人以上に好きなのだ。
あれほど心地よくすかすかな音楽はない。いや、タイに旅行に行ったとき観光地でずっとかかってたタイのPOPソングの方が勝ってたな。もう歌声の後ろでリズムマシーンがポコンポコンなってて楽しかった。もうちょースカスカ。
ということで、電気グルーヴの新作『J-POP』はなにもJ-POPでない。
何度きいてもなかなか3000円を消化できない。(3000円だしてないけど)
こう硬派にくるか! すばらしい。卓球の本気テクノに瀧が加わるから=J-POP。まあ、間違ってはいない。その通りである。
Perfumeなるものが大ヒットしてるのを横目に、というかガン見で8年ぶりというのを当ててくる硬派さ。お手上げなのだ。
ちゃんと売れるか? 心配だ。みんなPerfumeを手に取るよ。
電気のおじさん二人がこんなタイトル付けてくると、くるくる回る女の子3人はプレッシャーだよ。で、タイトルはGAME。しょーもな。ヨコ逸れてるよ。
なんだか、mixiみたいな文章になってて読んでて自分にいやになります。
もうこういうのは、しまいにしよっと。
ueda,





